シスター・先生から(宗教朝礼)

2019.05.08

2019年5月8日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼をはじめます。新学期が始まって約1カ月がたちました。皆さん新しい環境には慣れたでしょうか。体育大会の練習も始まり、高校3年生は最高学年として下級生を導き、学院を動かしていく立場の大変さや責任の大きさを実感しているかもしれません。もちろん、他の学年の皆さんも1つ学年が上がったことでそれぞれ1学年分下級生が増えるわけですから、上級生としての役割や責任が増したことでしょう。このような変化から新年度の初めは、特に下級生とのかかわりについて悩む方も多いかもしれません。親しみのある上級生でありたいと思うし、上級生として一目置かれたいとも思うかもしれません。私にとっても、新任の先生方を迎える新年度は、先輩教員としての在り方を考えることが多くなります。良い上級生・先輩とは何でしょうか。様々な視点があると思いますが、今日は1つのポイントに絞って皆さんと考えてみたいと思います。

初めに、最近出会った本から心に残った一節を紹介します。『優れたリーダーはみな小心者である』という本で、著者はブリジストンの元社長の荒川詔四さんです。知っている方も多いと思いますが、ブリジストンとは世界No1のタイヤメーカーで、従業員14万人、その4分の3が外国人というグローバル企業です。14万人を率いた荒川さんが優れたリーダーについて述べている本の中の一節です。それでは紹介します。
 しかし、世の中には「厳しさ」をはき違えているリーダーも多いと感じます。私が、 特に違和感をもつのは、若いころに自らが受けた理不尽な経験を、次世代にも強いようとする人々です。「俺はお前よりももっと厳しいことをやらされてきたんだ。このくらい当然だ」。 こんな言葉を吐く上司をもったことがある人は多いのではないでしょうか。しかし、私には、「厳しさ」をはき違えているとしか思えない。こんなものは「厳しさ」でもなんでもない。ただの〝部下いじめ〟だと思うのです。
以上が引用です。これは荒川さんの実体験に基づいています。荒川さんは若い頃に感じた違和感を胸に働き続け、自らがリーダーになったとき、自分が若い頃に大変だったこと、つらかったことを次の世代に経験させたくないと、一つひとつ改善していていきました。そういうと、それは甘やかしだと思う人もあるかもしれませんが、荒川さんはきっぱりと否定しています。さて、皆さんはどう思いますか。ここでいう「厳しさ」をはき違えているリーダーのようなことを言わないまでも感じたことのある方はいませんか。下級生のときは、「下級生だからと言ってこんな扱いを受けるのは理不尽だ」と思っていたのに、上級生になると「自分はこんな苦労をしてきたのだから」と同じ理不尽を強いた経験はないでしょうか。私は誰にでもこの上司のような気持ちは起きうると思います。それは、決して皆さんが意地悪だと言いたいわけではありません。それは、ヒトが「公平さ」について敏感であるためだと私は思います。私の経験を話します。私が小学生のころ、ある親戚の方からお年玉として5000円をもらっていました。そして中学生になると、10000円になりました。うれしいですね。しかしそのとき私はあることに気づきました。私には3つ下の妹がいるのですが、その妹も同じ10000円をもらっているのです。おそらく親戚の方にしてみると、目の前で差をつけるのは妹に可哀そうだと思ったのかもしれません。しかし、当時の私は、うれしい気持ちから怒りと悲しみに変わりました。自分は小学生のとき、5000円だったんだから妹も5000円で我慢するべきだと。冷静に考えれば、妹がいくらもらっても自分のお年玉が減るわけではないし、妹も多くもらえてうれしいのだからよいのですが。このような不公さに対する反応はヒトに限らないようです。オマキザルを使った有名な実験があります。2匹のサルを隣同士のケージに入れ、課題をこなすとキュウリが与えられるということを行いました。初めは2匹とも課題をこなすとキュウリがもらえ、喜んで食べています。次に、同じ課題に対し、一方のサルにはキュウリを、そしてもう一方にはよりサルの好きなブドウを与えました。そうすると、それを見ていたキュウリを与えられたサルは怒り出し、もらったキュウリを投げ捨ててしまいます。さっきまでは喜んで食べていたのに、です。このような実験は犬や鳥でも確かめられているそうです。
 このとき、私には思い出される聖書の箇所があります。ルカの福音書10章25節からの有名な善いサマリア人のたとえです。前半の部分だけ読みます。
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
この中に「隣人を自分のように愛しなさい」というメッセージがあります。ただ「隣人を愛しなさい」ではなく「自分のように」愛しなさいと言われています。私たちはつい人と自分とを分けて比べることをしてしまいます。しかし、神様は、そうではなく、相手と自分を分けて比べる前に、相手の痛みを自分の痛みとして、相手の喜びを自分の喜びとして共感し、行動しなさいとおっしゃっているのだと思います。
これで宗教朝礼を終わります。
M.H.(理科)