シスター・先生から(宗教朝礼)

2018.09.26

2018年9月26日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼を始めます。

 先々週に行われた祈りの会。皆さんはどのように過ごしたでしょうか。一人で静かに振り返ることを大事にできた人。話したいのを我慢して過ごした人。一人でいること、沈黙で過ごすことが不安で落ち着かなかった人。一人で静かに過ごす、というのは、実はちょっと勇気のいることで、不安だったり、落ち着かなくなったりする自分と向き合うことでもある、と私は思います。
 中3や高2の人は、普段と全く違う環境の中で、多くのことを見て、聞いて、感じた日々だったのではないでしょうか。あまりに多くのことをインプットしたために、まだ自分の中で消化できていない人も少なからずいると思います。学校生活に戻ると試験が待ち受けていて、ゆっくり咀嚼して消化する余裕もない毎日かもしれませんが、ちょっとした時間に、見てきたもの、聞いてきたものの一つでも振り返ってみることを続けてみてください。きっとそのうち、それらのことは皆さんの血となり、肉となっているはずです。
 今年の祈りの会、私は高2の皆さんと一緒に、フランスルーツへの旅に行きました。この旅に参加するのは、実は3回目です。10年以上前に行われた、聖心の先生方対象の巡礼旅行が最初で、次が、昨年3月に行われた希望者対象の旅でした。そして今回。同じ場所に何度も行って、もう十分なのでは、と言われることもありましたが、私にとっては毎回新しい発見をする経験となっています。
 最初に行ったときに感じたのは、聖人であり、どこか物語上のひと、と思っていた聖マグダレナ・ソフィアのリアルな存在感でした。聖マグダレナ・ソフィアの故郷であるジョワニーの町は、彼女がそこで生活していた時代と比べて、街のつくりも建物もほとんど変わっていません。「同じ風景を直接見ている」というリアルな感覚は今でも鮮明に残っています。中学・高校から聞いてきた聖マグダレナ・ソフィアが実体を持って迫ってきた瞬間でした。
昨年3月に行ったとき、その鮮烈なリアル感はありませんでしたが、3月だからこそ見られた風景がありました。それが、ブドウ畑の剪定の様子です。1本のブドウの木から出る枝は1つだけ。育てている人は注意深く枝を見て、その将来を想像して、これは、と思う枝以外を切り落とす。それには、それを行う人にしかわからない感覚、あるいは不安や悩みがあり、その人はそれに向き合い続けるのでしょう。ヨハネ福音書の15章にある、ブドウ畑のお話の核心を感じました。それと同時に、その作業を含めたブドウ畑の世話を大事にされていた聖マグダレナ・ソフィアの、大事になさっていたことも、ふっと体の中にはいってきたように感じました。
 今回私が強く思ったのは、穏やかなジョワニーで育ったソフィーが、革命の混乱期の価値観も空間も様変わりし、殺伐としたパリに行ったときに、何を感じ、どう思ったのだろう、ということです。先日の全校朝礼でのお話にもありましたが、ジョワニーはどこかしら不二聖心と似た雰囲気があります。ここで育った皆さんが、ここを卒業して新しい環境に行くとき、少なからず、ソフィーと同じ経験をするのではないか、それは皆さんにとって、ソフィーと直感的につながる手掛かりになるのではないか、と思ったのです。そして、今の世界を振り返った時、現在はフランス革命と同じくらい、急激で大きな価値観と世界の変化に直面しているのではないか、とも感じました。今まで常識、普通、とされていたことがそうではなくなる、そのような時代になってきています。ソフィーがパリで何を感じ、何を思ったのか、それが彼女の選択にどのようにつながっているかを探ることは、この大変化の時代を生きていく皆さんにとって、大きな意味を持つのではないだろうか。旅を終えて、今はそんな風に思っています。
高2までの祈りの会を通して身につけた、自分を静かに振り返る力。それを存分に使って、中3や高2の皆さんには、今回の旅で見たこと、聞いたことを自分の生き方の栄養にしてほしい。それがエネルギーとなって発揮されるのはずっと先かもしれませんが、でも確実に何かのちからになっていくはずです。静かに振り返ることがちょっと苦痛、と思った下級生の皆さん、祈りの会を過ごすごとにそれは大切なものになっていきます。高3の皆さんはその大切さを無意識的に自分のものにしていると思います。
 私も、これまで見てきたこと、感じてきたこと、考えてきたことを、どのような選択の力にしようか、皆さんとどのように共有しようかと考えていきます。
 これで宗教朝礼を終わります。
H.N.(社会科・宗教科)