シスター・先生から(宗教朝礼)

2018.04.18

2018年4月18日放送の宗教朝礼から

聖フィリピン・デュシェ一ン

 今年2018年11月18日に全世界の聖心の家族(学院の生徒たち、先生たち、シスタ一たち、卒業生たち、聖心を愛してくださっている方がた)は聖フィリピン・デュシェ一ンの渡米200年を記念し、お祝いします。今、日本でもシスタ一たち、卒業生たちと学校関係者で、お祝いの準備をしているところです。不二聖心女子学院は、保護の聖人として、聖フィリピン・デュシェ一ンのお名前をいただいていますので、特別なお祝いとなることと楽しみにしています。

 昨年の夏、私は フィリピン・デュシェ一ンと4人のシスタ一たちが新大陸で最初に設立したセントチャ一ルズの聖心の学校の屋根裏部屋に8日間、泊めていただきました。 毎日、大きな記念聖堂の中にあるフィリピン デュシェ一ンのお墓に祈りに行きました。しんとした聖堂で、彼女の情熱、勇気、苦しみ、キリストへの思いなどを味わっていました。

 学校から5分も歩くとミズ一リ一川が、まるで、この200年の歴史の数々をその懐に収めているかのように、ゆったりと流れていました。河岸にある丸太小屋も開拓時代の面影を残していました。

 そして何よりも強く私の心を揺るがしたのは、 セント・チャ一ルズを閉鎖した後の第2の学校フロリソンの存在でした。今、そこは巡礼地として、広く人々が祈るため訪れています。当時のありさまが残されているので、開拓時代のつましい生活を想像することができます。何度も説明を受けていたフィリピン・デュシェ一ンが寝ていらしたという階段の下の小さな部屋は想像したよりもずっと狭かったです。そこを訪れた巡礼者がささげた祈りの紙がたくさん置かれていました。

 聖マグダレナ・ソフィアとともに初期の聖心会の歩みに大きな貢献があったフィリピン・デュシェ一ンが、樫の木のように強い性格でありそれ故に苦しんだこと、新大陸の先住民に聖心の愛を伝えたいという熱意を持ち続けたこと、やっと新大陸に行く許しを得た時はすでに49歳という年になっていたこと、2か月を超えた帆船レベッカ号での航海、又新大陸に上陸して後の幾多の困難を祈りに支えられた信仰で乗り越えていったこと。。。其の伝記を読むとよくもこんなにつらいことが多かったのにと驚嘆してしまいます。

 フィリピン自身、「私はどこに行っても、物事をダメにしてしまうのではないかという恐れをいつも心に抱えています。これは私が心の深みで聞いたように思う言葉のためなのです。”あなたは成功によってよりも、失敗によって私をよろこばせる。”といっています。実際、フィリピン・デュシェ一ンは多くの失敗を経験して、人生を深く生きることを学んでいったのでしょう。。私は ここに大きな魅力を感じます。フィリピン・デュシェ一ンの伝記の著者、キャサリ一ン・ム一ニ一も次のように言っています。

  成聖というのは、人間的な生々しい生活の中に埋もれて存在するものです。人生は織り上げられたタぺストリ一にたとえられます。タぺストリ一を織るのにつかわれる糸は、私たちが授かった才能や素晴らしい成功だけではありません。欠点ゃ苦い失敗も織り糸になります。私たちは泥にまみれた世俗的な現実という媒体をくぐり抜けて、人間として完全なものへと成長し、成聖に達するのです。フィリピン・デュシェ一ンという、神の恩恵を受けた女性の生涯が私たちの心を打つのは彼女の人生が人間的なものだったからです。    (『フィリピン・デュシェ一ン』 山口晶子訳 p。10)

 私たちはしばしば お互いを見る時、その人が何をどのように成功させたか、どのように優れているかの角度からだけ評価しがちです。 自分に対しても、失敗の部分はマイナスに考えがちです。

 フィリピン・デュシェ一ンも自分に厳しかったようです。しかし、現在の私たちには、彼女の人生—成功も失敗もあった人生--その人生そのものに価値があったことがわかります。彼女あってこそ、聖心会のミッションは大きくその世界が広がったことは疑いもありません。そのおかげで、私たちの今があるのです。

  この一年を通して、聖フィリピン・デュシェ一ンの伝記を読んでみてください。失敗の多かった日々の生活の中で、彼女が、どんなに真剣に、勇気をもって、神のみ旨を探していたのか。。。その迫力ある事実が、皆さんの心を打つでしょう。。彼女の魅力を見つけてみてください。それから、一人一人、自分の人生のタぺストリ一の織り糸はどんなでしょうか、どんな色合いでしょうか、祈ってみてください。

慈しみにあふれる神様 
聖フィリピン・デュシェ一ンのお取次ぎを通して、私が自分にいただいた人生をフルに受け取ることができますように。
温かい目で、他の方、そして自分を見ることができますように。
ア一メン

H.O.(修道院)