シスター・先生から(宗教朝礼)
2017.11.15
2017年11月15日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
私は卓球クラブの顧問をしています。顧問としてはだいぶ長く務めさせていただいています。自分自身は、現役、というのも変な言い方ですが、試合に出るのは7・8年前を最後に終わりにしたと思っていました。7・8年前、そのときの試合は、今、高3の副担任をしてくださっている稲森先生と同じ学年の卓球クラブの人たちと一緒に、チームを組んで団体戦に出場しました。部員と顧問が同じチームで試合に出るなんて、ありえないようなことが実現して、今でもとてもいい思い出です。
というわけで、もう試合にでることなどないと思っていた私ですが、10月の体育の日に、団体戦のメンバーが一人足りなくなったので、とやはり卓球をやっている妹に人数あわせでいいから出てほしいと頼まれたのです。全然練習していないから無理だよ、と思ったのですが、実は私の娘も、祖母や叔母、従兄弟の影響で卓球を始めており、今回の試合にも出ることになっていたので、「自分が選手だとアリーナに下りられるしな…」と思い直して出場することにしました。
とは言ったものの、全然練習、いや運動さえもしていないのに大丈夫なのだろうか、と不安な私に、チームメイトの方々がかけてくださった言葉は、「大丈夫、今日はお祭りだから、気楽に気楽に」でした。お祭り。確かにその大会は市スポーツ祭という名称でした。スポーツ祭。つまり、スポーツをしている人が集まって試合をして楽しむというお祭りの大会なのです。見回してみると、いろんな世代の人がいました。小学生から70歳をこえるお年寄りまで。普段の試合ではないことですが、年齢も男女も所属団体も関係なくチームを組むということも、スポーツ祭だからありなのです。私は中学生と高校生と社会人の人と対戦しました。結果は五分五分でしたが、私のチームで一番勝利をあげたエースは60歳を超える女性でした。その方は、私が大学生のころからとても強く、カリスマ的な存在で、今回も卓球で大学進学が決まっている女子高生をセットオールの末下しました。そのあきらめない姿勢、一球に対する粘り強さは尊敬に値します。他に私はラージボールの部にも飛び入りで参加しました。ラージボールは、通常のボールよりも大きく、そのため打ってもゆっくり飛んでくる…はずでしたが、私は70歳くらいのおばあちゃんにびしばし打ち込まれて負けてしまいました。昼近くなると、車いすに乗った方々もやってきました。体育館からも車いすが数台用意され、誰でも車いすに座って試合ができるという部門もありました。
このような試合にはじめて参加した娘にとっては大きな衝撃だったようです。ちょうど小学校から出ていた宿題の作文に、この試合のことを書いていました。なかなかもう見せてくれませんが、ちらりとのぞき見たところ、「いろんな人がスポーツを楽しめるっていいなと思いました」というようなことが書いてありました。当たり前と言えば当たり前ですが、本当にその通りだな、と私も試合に出て感じました。スポーツだから勝ち負けがあり、どうせなら勝った方が嬉しい。でも、やっぱり、その競技が好きであるとか、楽しいとか、誰でもどこでも楽しめるとか、そういうことがスポーツの根底にはあるのではないかなと思います。そしてこれはスポーツに限らず言えるかもしれません。
明日は球技大会です。勝ち負けも重要ですが、どうかその前に思う存分楽しんでください。そして、チームや学年の絆、団結力を深めてください。もうひとつ、娘はいつかあの試合に出ていた車イスの強い人と対戦したいと練習を頑張るそうです。今回の試合に出てみて、私たちは普段どうも年代とか性別とか国とか、そういうもので範囲を限ったり、ボーダーを引いたりということが多いなと感じました。みなさんも、一生懸命球技大会にむけて練習してきたのはどのチームもどの学年も同じ。ここはボーダーを取り払って、お互い敬意を持って対戦できたらいいですね。
これで宗教朝礼を終わります。
M.S.(国語科)