シスター・先生から(宗教朝礼)
2017.10.11
2017年10月11日放送の宗教朝礼から
20数年ぶりに、私は裾野に帰ってきました。大自然のうつくしさに またまた 魅了されています。富士山の豪快で崇高な姿、雄大な箱根山脈はもちろんのこと、茶畑の真ん中にある桜の大木ともみじの大木とともに 丘のかしこにみられるトンボやバッタ、小さな可憐な野の草、、、大きなものも小さなものもそのすべてが、私を「祈り」に誘ってくれています。風の音を聴くのも楽しみの一つです。風は見えないけれど、そのダイナミックな動きで、私たちのいのちが活動していることを示してくれているように感じるのです。
確かに、この自然は私に、大きなスケ一ルでものをとらえ、小さなことにくよくよしないように導いてくれています。 毎日の生活で、うまくいかないことがあっても、それを乗り越える勇気を与えてくれている気がします。裾野の自然が私の心を自由にし、前進するエネルギ一を与えてくれているのです。
この頃、ふっと思い出すことがあります。修練院入会のためにこの地に住み始めた最初の日の出来事です。何十年も前の、ある日曜の夕方のことでした。真っ赤な夕焼けが空一面を包んでいました。東京から3時間かけて私を車で送ってくれた両親、弟、妹に別れを告げる時が来ました。両親の何とも言えない寂しげな顔がその場を深刻なものにしていました。私自身は未知な世界に飛び込むときの緊張、不安、そして片方では大きな希望などの異なる感情に揺れ動いていたのです。
「少し、お聖堂で祈っていらっしゃい。」と修練長のシスタ一に言われて、私は本館の2階にある大きな、静かな聖堂で、ひざまずいて祈りました。そして聖堂を出ようとした時です。一人のお年を召した外国人のシスタ一が、私のほうに向かってこられました。シスタ一は私をしっかり抱きしめ、 “Welcome! I do not know you personally but I know that you are a GOOD person.”「よく来ましたね。私はあなたを個人的に知らないけれど、あなたがよい人だと分かっていますよ。」といってくださいました。基本的に「人」を尊重し、その人の中にある「善」を信じているからこそ、言えた言葉です。その温かい言葉と包容力に満ちた姿勢に、すべての不安がすっ飛び、私はただただ感動していました。
後でそのシスタ一は中国の上海の聖心で働いておられ、その学院が閉じられた後、裾野に院長としてこられ、不二聖心のために大いに貢献なさったアイルランド人のマザーダフであったと分かりました。当時、シスタ一は80歳を超えていらしたと思います。このマザ一ダフの全面的に開かれた心の姿勢は、手を大きく広げて、誰をも受け入れるイエスの姿を表しているのだと思います。
マタイの福音書、11章の28節に
すべて重荷を追うて苦労しているものは、私のもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
とあります。
マザ一ダフは「私のもとに来なさい。安心していいのですよ。」というイエスの言葉を身をもって、示してくださいました。この言葉の力は、私のその後の人生の中でしばしば「原動力」となりました。他人に誤解されたり、自分の失敗に打ちのめされそうになった時に、もう一度、立ち上がってみようという勇気をくれました。暗闇の中でも自分を肯定的にとらえられるようにと、私の背中を押してくれました。
裾野の大自然が、マザ一ダフのような大きなスケ一ルの人を育ててくれたに違いないと、この頃、ますます確信するようになりました。私たちも彼女についていきたいものです。そのためには忙しい日々の中で、どこかで、ほんの短い時間でよいので、この自然の美しさに目を止めること、また沈黙の時をもつことが大事かなと思います。不二聖心に属する私たちにそのようなメッセ一ジが呼びかけられているのでしょう。
神様
私たちに立ち止まることのできる「時」をください。
裾野の自然の美しさに気が付かせてください。
私が接する人たちの内面の美しさを見せてください。
10月19日にお祝いする感ずべき御母の内面の世界の美しさを私たちに教えてください。
H.O.(修道院)