シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.09.20

2017年9月20日放送の宗教朝礼から

  私はこの夏休みに、久しぶりに韓国体験学習の引率をし、帰ってからも、多くの韓国の方々との出会いがあり、今懐かしく思い出されます。

 体験学習では、生徒たちとともに姉妹校の皆様と出会いました。今でこそ文化交流が盛んな韓国ですが、近くて遠い国と言われた国どうしの高校生たちが出会う瞬間は、理屈ぬきに感動的なことです。涙が出そうでした。
 また、この夏、S.Yさんが日本での勉強を希望し、この不二聖心を選んで留学に来てくれました。 こうした若い韓国の方々との出会いは、希望にあふれたものであり、私にとって大きな力となっています。
 しかし若い方だけでなく、この夏には、韓国の大人の方々とも、よい出会いがたくさんありました。その中で3つ分かち合いたいと思います。
 お一人は、北朝鮮を出て、韓国に来られたいわゆる脱北者の女性の方です。今年の体験学習では、板門店に行って帰る途中のバスの中で、この脱北者の方のお話をお聞きするプログラムがありました。その女性は、中国にいらっしゃるご親戚を頼り、お嬢さんを連れて、韓国に渡り、今はこうして脱北者の現状を多くの人に伝えることをしていらっしゃいます。公務員のようなお仕事をされている旦那さんは残念ながら北朝鮮に残してこられましたが、お嬢さんの将来を考え、韓国に渡ってこられました。お嬢さんは外国で勉強がしたいという夢を果たしつつあり、韓国から中国へ留学をされ、さらにカナダへの留学の準備もされているとのこと。娘の夢をかなえることができたという母親の喜びを言葉にされていましたが、脱北というのは、命の危険を乗り越えてのことで、途中助けてくれる人たちへのお金も必要です。よほどの覚悟や準備、そして勇気と強い意志がないとできないことでしょう。彼女の華奢な体の中に、過酷な経験を乗り越えた大きな力を感じました。
 次に体験学習から帰ってきてから広島に行き、原爆の日を前にして行われた平和行事に参加したのですが、そこで、韓国のカンウォン大学理工学部の男性の先生にお会いしました。先生は研究の傍ら、将来を生きる子どもたちのために自然エネルギーを活用した社会にしたいという思いのもと、それをアピールする巡礼を最初はたったお一人で始められました。その思いは多くの人に伝わり、今ではたくさんの賛同者とともに、週末や連休などに韓国全土を歩く巡礼となりました。その活動は、同じカトリックの現在の大統領の知るところにもなり、その政策に影響を与えているようです。私は、その先生に、巡礼を始められた理由や思いをお訊きしました。先生は、自然、地球環境は神様からあたえられた大切なもの、それを守るのがわたしたちの使命、そして次世代の子どもたちによいものを残すのが今を生きる大人の責任。それを思ったときに動かなければいけないと思ったのですとおっしゃいました。将来の子どもたちの環境のために、たった一人で立ち上がったこの先生の使命感と行動力に感動しました。
 そして、最後にソウル聖心のシスター・先生方です。約3年ほど前にソウル聖心の近くに画像競馬場という大きなギャンブル施設が建ちました。治安の悪化をおそれ、校長のシスターをはじめ先生方、保護者のみなさん、地域の支援者の方々が、競馬場の建設の前から、反対運動をずっと展開してきました。競馬場のビルの前に椅子を並べての立ち退き運動です。私も個人的に韓国に行ったときは、横につくられたテントでのミサに、何度か参加しました。立ち退きを祈りつつも、果たして立ち退きは実現するのだろうかと思っていました。先生方は暑い日も、寒い日も日曜日など休みの日は一日中、その施設の前に立ちはだかり、生徒たちの教育環境のために訴えてきました。生徒たちもたびたびプラカードを掲げて訴えていました。この反対運動が始まって4年あまり、やっと今年の夏に、競馬場の立ち退きが決まったそうです。このニュースは、韓国の全国紙の新聞にも掲載されました。姉妹校の教員として、私も本当にうれしく、また長い間、生徒たちのために尽力されてこられたシスター・先生方のご努力を心から讃えたいと思いました。
 韓国の言葉で、「ハン」という韓国人の気質を表す文字があります。恨むという漢字の韓国語読みなのですが、人を恨むという意味とは異なった意味で使われるようです。その「ハン」を解くという言葉は、私の持っている韓国語辞典(小学館『朝鮮語辞典』)では「心に抱き続けてきた望みを果たす」と書かれています。私が出会った方々は、まさにこの「ハン」を解かれた方々のように思いました。
 また、ある聖書の言葉が頭をよぎります。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、 門をたたく者には開かれる。」(マタイによる福音書7章7節~8節)という文章です。この夏に出会った方々のように、神様に求めていけば本当に実現するのだと強く感じたことは言うまでもありません。この言葉は、不二聖心の生徒の皆さんでしたら、神様は、自動販売機のように、何でも頼めば簡単にかなえてくださるものではないことは、おわかりでしょう。祈り求めたときに本当に神様がかなえてくださる物事とは、おそらく神様ご自身が望まれることではないかと思います。
 では、神様が望まれることとは、いったい何でしょう。
 私が今日紹介した方々は、共通して、家族や子どもたち、その教育と未来を考え、勇気を振り絞り、また時間を惜しまずに粘り強く求め、行動しました。神様は、私たちが大切に思う人々のために、思い、常に努力し、希望を持って実行することを通して、望みを受け入れてくださるのでしょう。
 私自身は、時に神様を見失い、あきらめがちです。神様がいつもともにいてくださることを信じ、希望を持って努力することの大切さを深く学ぶことのできた今年の夏でした。
 これで宗教朝礼を終わります。
K.S.(理科)