シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.06.14

2017年6月14日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
「皆さんはなぜ、今勉強しているのでしょうか?」。勉強しないと親に叱られるから……。周りが勉強しているから……。きっと、今勉強している意味がよくわからない人も多いのではないかと思います。なぜなら、私自身、皆さんと同じ時期、なぜ自分が勉強しているのかが、よくわからなかったからです。今日は、私自身の人生を振り返りながら、勉強する意味についてお話したいと思います。
 
 私は小学生のとき、とても勉強が苦手でした。宿題や復習を全くしない、やったとしても適当にやる、そんな子でした。皆さんと同じように中学受験をしましたが、受験勉強をしなかったので、当然ながら受験したほとんどの学校に落ちてしまいました。頑張ることができなかった自分に苛立ち、ずっと泣いていたのを今でも覚えています。あのとき、情けない自分を変えようと思い、高校受験を決意しました。中学1年生になってからは必死に勉強しました。「リベンジする!」という気持ちだけが勉強のモチベーションになっていました。そして、猛勉強の末、成績は飛躍的に伸びました。中学1年生のときから行きたいと思っていた高校に合格し、高校受験に成功しました。
 
一見、受験に成功した話のように聞こえますが、振り返ってみると、私は大きな失敗をしていました。私がしていたのは「受験勉強」であって「勉強」ではなかったのです。中学生のときの私は、「なぜ今勉強しなければならないのか?」と聞かれたら、何の躊躇もなく「受験に成功するため」と言うでしょう。しかし、それが本当に勉強することの本質なのでしょうか?私は、勉強をする意味がよくわからないまま中学を卒業し、高校に行きましたが、高校生になっても「なぜ今勉強しているのか?」がわからず、全く勉強する意欲が湧きませんでした。そして、私の高校生活は、消極的に授業を受ける毎日で、充実していませんでした。それは勉強する意味が分からなかったからでしょう。「今自分がなぜ勉強しているのかがわからない。だけど毎日授業を受けなければならない」、そんな思いで高校生活を送っていました。
 
 そんな私を大きく変えてくれたのが大学生活でした。大学では日本史を専攻し、葉室定嗣という中世前期に生きていた人の日記を読みました。昔の人が遺した日記を読むのは非常に大変でしたが、葉室定嗣の筆圧から、定嗣が何を訴えようとしていたのかを、日本史専攻の仲間たちと話し合ったりしたのがとても面白かったのを覚えています。そして、何よりも、日本史を学ぶことで、自分が今まで常識だと思っていたことが、実はそうではないということを知ることができました。
 
例えば、今から約300~400年前にも、町火消という消防士がいました。私たちの感覚からすると、消防士は、水をまくことで燃えている家を消火しようとします。しかし、町火消という消防士の絵を見ると、多くの人が水をほとんど持っておらず、長い棒を持っています。それはなぜでしょうか?実は、町火消は水を使って消火するのではなく、燃えている家を長い棒で破壊することによって消火しようとしたのです。そして、自分の命を顧みずに果敢に現場に飛び込んでいく町火消の姿に、昔の人々は「いき」である、すなわち「すごい、かっこいい」と思っていたのです。
 
 こういったことを大学で学び、初めて歴史を学ぶこと、勉強することの面白さに気付きました。自分が常識だと思っていたことが実は常識ではない、そんな自分の知らない世界のことを知るということが、こんなにも面白いものだったとは思いもしませんでした。だから、私は「なぜ勉強しなければならないのか?」と聞かれたら、『「しなければならない」というよりは、きっと「面白いから」やるべきだと思う。色々なことを学ぶと、自分の人生が豊かになるし、そして色々と学んだことが、他の人の人生を豊かにするかもしれないよ。それってすごく素敵なことなんじゃないかな?』と自信をもって言うでしょう。
 
 私は、皆さんと同じ時期、学ぶ意味を見い出せずに鬱々とした毎日を過ごしていました。だからこそ、皆さんには10代のうちに学ぶ意味を見い出し、学んだことを生かして様々な人たちを幸せにしてほしいと思っています。
 
これで宗教朝礼を終わります。

K.K.(社会・地歴公民科)