シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.04.19

2017年4月19日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。

 4月、新年度が始まり、2週間が経ちました。みなさんは、新しい生活に少しだけ慣れてきたころでしょうか。身体も心も少し緩んで、疲れが出やすい時期です。焦らず、ゆっくりと自分のペースで過ごしてほしいと思います。
さて、今年度の学校目標は、Bring Joy to Othersです。1年後、みなさん1人ひとりが喜びを与える人となった姿を想像すると、とてもわくわくします。
喜びを与える人とは、どのような人でしょうか。
みなさんは、生まれてきたその日から価値のある存在であり、喜びを与える存在です。そのことに理由はありません。
 ですが、私たちは社会全体の中で生きており、様々な人とかかわりあって生きています。そのため、関わりの中で他者に喜びを与え続けることができる人、つまり主体的に喜びを与えるということが重要になってきます。
それでは、主体的に喜びを与えられる人とは、どのような人でしょうか。想像してみてください。
様々な答えがあると思いますが、まずは自分を大切にできる人ではないでしょうか。今日は、自分を大切にすることについて、お話したいと思います。
聖書に、次のような言葉があります。
   隣人を自分のように愛しなさい。
 きっと、自分を愛することができる人が、真に人を愛することが出来るようになるのでしょう。自分を大切にし、自分を好きになることは、人を愛し、与えることのできる自分になる第一歩だと思います。
自分を大切にできると、心の余裕が生まれます。心の健康は身体の健康にも繋がり、意欲や行動力も高まります。したがって、自分を大切にできていると、喜びとは何かを考える余裕が生まれるとともに、喜びを与える行動力につながります。
 みなさんは、自分を大切にしていますか?
 自信を持って、大切にしています、といえる人は、恐らく少ないでしょう。最近では、アドラー心理学やポジティブ心理学などの自分を大切にするヒントを与える分野の書籍が数多く出版されており、自分を大切にするということは多くの人にとって簡単なことではないのかもしれません。
私自身も、学生の頃、自分を大切にできていたかというと、そうではありませんでしたし、今でも大切にできていないな、と思うときがあります。
  自分の気持ちを押し殺して、他人に合わせたりしていませんか?
  睡眠不足やストレスで、身体に症状が出ていませんか?
  そのような状況では、自分のことでいっぱいになり、他者のことを考える余裕がなくなってしまいます。
時々、自分を大切にすることを優先すると、わがままになってしまいませんか?と聞かれることがあります。自分を大切にするということと、わがままになることは違います。「自分を大切にする」ということは、自分の気持ちに素直になり、自分でその気持ちを叶えてあげることであり、「ワガママ・自己中心的」というのは自分の思い通りになるように他人に強要することですから、全く違います。
 自分を大切にすることは、自分ひとりでできることなのです。
 それでは、自分を大切にするにはどうすればいいのでしょうか。
 ぜひ、一日の終わりに、「その日、自分のことを大切にできたか」振り返ることからはじめてみてください。きっと、普段から自らを振り返り、内省をする習慣のあるみなさんなら、難しいことではないと思います。自分を見つめ、労わる時間を、ぜひ持ってもらいたいと思います。
  最後に、詩人茨木のり子さんの「汲む」という詩の一部を、読みたいと思います。
汲む   茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね

私はどきんとし
そして深く悟りました
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり 今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

みなさんが、他人との関わりの中で、喜びとは何かを考え、その喜びを与え続けることのできる女性になってほしいと心から願っています。
これで、宗教朝礼を終わります。
H.K.(保健室)