シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.06.29

2016年6月29日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。宗教朝礼を始めます。

先週の6月20日は、「世界難民の日」でした。難民とは、戦争、宗教、民族対立などのために、迫害を受ける可能性が高まるなどして、自らの住んでいた土地で生活を続けていくことが難しくなり、住む場所を追われた人々のことを指します。この難民の日は、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、様々な団体による難民支援の活動に対する理解と支援を深めるという目的をもって制定されました。難民の日に関連するイベントも各地で開かれました。聖心女子大学においても同様です。聖心大公認の難民支援団体SHRETを中心に、UNIQLOと協働で行った、着なくなった古着の回収と難民キャンプへの送付を行うプロジェクト、難民の故郷の料理を学食で味わい、1食あたり20円が難民支援のための寄付金として使われるプロジェクト、SHRETの活動報告や、先週不二聖心にもお越しいただき、SOFIS委員を中心とした方々を対象にワークショップを行っていただいたRETJapanの赤崎元太さんのトークショーなどを行うSHRET祭などが開かれました。難民の故郷の料理を食べようというプロジェクトは、昨年度、不二聖心の寄宿の食事においても実施されましたので、寄宿生の人たちは記憶に残っていることと思います。
国連で難民を支援する機関である国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、この日に合わせて、「Global Trends 2015(年間統計報告書)」を発表しました。この報告書の中で、2015年は紛争や迫害によって家を追われる人が急増し、その人数は第二次世界大戦以後最多、世界全体で6530万人にのぼったと述べられています。この人数は、フランスの人口とほぼ同じ数になります。現在UNHCRが支援している難民のうち、最大の難民出身国となるのが、シリアです。2011年3月以降に起きた内戦により、22万人以上が亡くなり、シリアの人口約2200万人のうち、490万人が難民となって国をでました。国民4人から5人のうち1人が難民となってしまうという割合です。シリアの惨状がいかほどのものか、この数字からも想像することができます。
2015年、最も多くの難民を受け入れた国はトルコでした。250万人の難民を受け入れました。続いて、160万人のパキスタン、110万人のレバノン、約98万人のイラン、約73万人のエチオピア、約66万人のヨルダン、と続いていきます。
特にヨルダンは、国民の人口が約660万人です。これは、千葉県の人口を少し超える程度の人口で、それほど大きな国ではないことがわかります。そんなヨルダンでは現在、昨年受け入れた66万人のシリア難民に加え、すでに受け入れていた210万人のパレスチナ難民や、約6万人のイラク難民などが生活しており、受け入れている難民の総人口は300万人を超えています。国家予算の約4分の1が難民支援のために当てられているという状態です。ヨルダンの難民受け入れの限界は、とうの昔に通り過ぎていると言ってもおかしくない状態なのです。
では、私たちの国、日本はどうでしょうか。2015年、日本で難民として認めてもらうよう求めた人は全部で7586人いらっしゃいました。そのうち、難民として認められた人は、27人です。今年の1月から3月にかけては、2356人という過去最多の勢いで求めがありましたが、難民として認められた人は、1人です。
この数字に対しては、様々な考えを持つことができると思います。日本は、欧米諸国とは異なり、自分たちとは言語も文化も異なる人々を受け入れる社会的な土台も、精神的な土壌もまだまだ未発達であるから、安易な受け入れは難民の人たちにとっても、不幸な結果にしかならない、と考える人もいるでしょう。難民問題よりも少子高齢化問題など国内の問題を解決する方が先だ、と考える人もいるかもしれません。現在の難民急増の原因は欧米諸国にあり、日本は関係がないからそこまで責任を負う必要はないと考える人もあるかもしれません。
今年4月、フランシスコ教皇様は、ギリシャ東部のレスボス島を訪れました。そこでは、必死の思いで国を捨て、ヨーロッパへと逃れようとした人々が難民キャンプで生活をしていました。その1ヶ月前、EUとトルコは、正規の手続きを経ないで、密航船などでギリシャに逃げ込んだ人々をトルコに送り返す難民送還について合意を成しました。教皇様は、トルコへと送り返されることを前提に拘束されている人々と面会し、その後、シリア人難民の3家族12人をローマへと連れ帰られました。この12人は、皆、イスラム教徒の人たちです。
ローマへと向かう機中の中で、教皇様は、記者団から、こうしたささやかな行動がどれほどの影響を及ぼすのか、との質問を受け、次のように答えられました。
「マザー・テレサはこう仰りました。『それは大海の一滴です。でも、この一滴が加わった後の海は、その前の海と同じではないでしょう』と。私も同じように答えます。それは小さな行いです。でも、私たち皆がこうした小さな行いで、困窮している人に手を差し伸べていかなくてはならないのです」と仰られました。
もう1つ、私が好きな、ある人物のメッセージを最後にお伝えしたいと思います。2009年、イスラエルのエルサレムにて、エルサレム賞という文学賞を受賞した、小説家の村上春樹が行った、受賞スピーチの中の言葉です。
「ひとつだけメッセージを言わせてください。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にはそれは刻み込まれています。こういうことです。
   もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、一体その作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?」
以上です。難民問題について、皆さんはどのように考えますか。
これで、宗教朝礼を終わります。
S.N.(社会・地歴公民科)