シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.06.22

6月22日放送の宗教朝礼から

 みなさん、おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

今週の金曜日は、みこころの祝日です。ごミサに与ったあと、高校生は近隣の施設で、中学生は校内のお掃除を通して、奉仕をさせていただく一日です。
 「みこころ」は、漢字で書くと、「聖心」(聖なる心)。私たちの学校の名前であり、創立者、聖マグダレナ・ソフィア・バラが、学校をつくるにあたって特に大切にされたスピリットそのものです。
ということは、このみこころの祝日は、聖心に通う私たちにとってとても深い意味をもつ1日と言えます。
 そもそも、「みこころ(聖心)」とは何か。これは、イエス・キリストの心、つまり心臓を表します。象徴的に、茨が巻き付き、槍で貫かれた痛々しい姿のハートが、イエスのみこころとしてよく描かれます。この痛々しいハートには、神様の無限の愛を示すために、人々の罪を背負って亡くなられたイエス・キリストご自身の、人々に対する燃えるような愛、慈しみのこころが表されています。つまり、「みこころの祝日」はこのようなイエス様の愛や慈しみのこころを私たちが実践していく日です。
 奉仕活動というと、私たちは、誰かの「ために」、何かを「してあげよう」という感覚に陥りがちですが、「してあげる」という表現は、どこか上から目線のような印象がありませんか?不二聖心では、奉仕をすることを「奉仕させていただく」と言いますが、私は初めて不二聖心にきてこの表現に接したとき、とても美しい言葉だと感じました。奉仕の意味は、「してあげよう」ではなく、見返りを求めず、自分以外の誰かのために「尽くす」こと、自分以外の誰かの心と「つながる」ことにあると思います。では、誰のために私たちは尽くし、心をつなぐのでしょうか?
 先日、部屋の整理をしていたら、たまたま、自分が高3だった時に受けた宗教の授業ノートがでてきました。ぱらぱらとめくっていると、アフリカの奥地で長年奉仕活動にたずさわってこられたある神父様に関する記事を読んだ時の、自分の感想に目が留まりました。私がその記事を読んで強く心を動かされた言葉が「奉仕する相手は好意の感情からではなく、理性から選ぶ」というものでした。つまり奉仕する相手は、自分にとって都合のよい相手であったり、個人的に何かしてあげたいという私的な感情から選ぶのではなく、もっと広い視野にたって判断して選んでいくというものです。この言葉は、当時の私に、奉仕活動の意味を考えさせるきっかけとなりました。
聖書にも、つぎのようにあります。
 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。(罪人でも愛してくれる人を愛している。)自分によくしてくれる人に善いことをしたところでどんな恵みがあろうか。(罪人でも同じことをしている。)返してもらうことを当てにして貸したところでどんな恵みがあろうか。(罪人でさえ同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである・・・
人によいことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、沢山の報いがあり、いと高き方の子となる・・・                  (ルカによる福音書6章32節~)
イエス様の心臓にあらわされた、キリストのみこころ=愛は、自分が何をしたいかではなく、助けを必要としている相手の人が、何をしてほしいと思っているか、それに合わせて行動することと繋がっています。イエス様が示された愛は、よく、アガペーという言葉で表現されます。高校生のみなさんは、宗教や倫理の授業できっと一度は勉強したことがある言葉でしょう。このアガペーの行為は、相手の思いを中心とする行為なので、相手が今何を願い、何を必要としているかということを心のアンテナでしっかりキャッチできていないと、実践できません。ともすると、あれをしたい、これをしたいという自分中心の欲求に陥ってしまい、相手の視点にたった行動がとれなくなってしまいます。
 高校生の方は、施設でお掃除や、ご老人や利用者の方々との交流などがあるとおもいますが、もしかしたら、利用者の方との会話がうまく成り立たなかったり、自分が思い描く活動ができず、自分は本当に役にたっているのだろうか?と感じる場面があるかもしれません。でも私はそれでよいと思います。中学生も、お掃除をしますが、暑かったり、虫もいっぱいいるかもしれません。普段人のあまり使わないような場所を掃除することは楽ではないし、地道な作業になるでしょう。でも、見返りをもとめずに、ひたすら何かに尽くせる時間って、素敵なことだと思いませんか。自分の満足度ではなく、自分以外の誰かに思いを合わせて行動できたとき、自分が思い描いている以上の大きな充足感が感じられたら、それは素晴らしいことだと思います。何かをしたら、見返りに何かをもらえることが当たり前とされている世の中で、聖心に学ぶ皆さんは、それとは逆のことに価値を見いだせる人たちだと思います。
 最後に、インドでご自分の一生を貧しい人に捧げられた、マザー・テレサの言葉を紹介します。
 
 わたしたちの唇には、いつもほほえみがなければなりません。
 わたしたちが助けてあげる子どもたち、一人ひとりのために。
 わたしたちがそばにいてあげたり、薬を飲ませてあげたりする一人ひとりのために。
 ただ薬をわたすだけというのは、大きな誤りでしょう。
 私たちは、心を与えなければならないのです。     (『マザー・テレサ100の言葉』より)
 聖心の、ロゴマークであるオープンハートに表されるように、私たちの心がいつも他者に開かれ、私たちの行動一つひとつが、相手と同じ目線にたったものとなりますように。
みこころの祝日は、みなさんと一緒に私自身も奉仕活動に参加させていただきますが、イエス様のみこころや奉仕の意味を自分自身もよく考えながら、活動していきたいと思います。
この日が素敵な一日になるよう、お祈りしています。
これで宗教朝礼を終ります。
                              Y・S(英語科・宗教科)