シスター・先生から(宗教朝礼)
2016.04.20
2016年4月20日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。
4月、新年度が始まり、数週間が経ちました。みなさんは、新しい生活に少しだけ慣れてきたころでしょうか。まだ慣れていないと感じている人も、大丈夫です。焦らず、ゆっくりと自分のペースで過ごしてほしいと思います。
突然ですが、皆さんは自分を大切にしていますか。
高校3年生の時、私は自分のことを大切にできていませんでした。高校時代に勉強をおろそかにしたつけが回り、受験勉強が大きな負担となり、夜遅くまで勉強をし続けました。少しずつ体調が悪くなっていることに気が付きながらも、知らないふりをして、もっとできるはず、と思っていたのです。さらに通っていた高校は進学校でもあったため、周りの同級生が知らない間にどんどん成績を上げていたことに焦り、自分を責め、なんでこんなに自分はだめなんだろうと思い続けていました。
また、自分とは性格が正反対の ある同級生と関わる機会が増えました。どのような友人かというと、思ったことはそのまま言葉にする、自己主張のつよい人でした。今では大変仲の良い友人ですが、当時の私はどちらかというと内向的な性格であったため、その友人が思ったことをストレートに伝えた言葉に、素直に傷つき、なぜ自分は我慢してばかりいるんだろう、自分ばかりがつらい気持ちにならなきゃいけないんだろうと、悲しくなることも多々ありました。
睡眠不足や焦り、自責、自己嫌悪…この行動と感情は、環境や他人が原因のようにみえますが、実は違いました。物事や状況を、自分が自分にマイナスになるような方向で捉え、行動した、つまり、自分で自分を傷つけていたのです。目に見える形で自分の体に傷をつけたわけではありませんが、自分で自分を追い込み、勝手に辛くなっていたのです。
皆さんは、自己肯定感という言葉を聞いたことがあるでしょうか。自分は生きる価値がある、誰かに必要とされている、と、自らの価値や存在意義を肯定できる感情のことをいいます。文部科学省の調査によると、日本の高校生は、他国の高校生と比べて自己肯定感が低い傾向にあるようです。自己肯定感の低さは、さまざまな問題を引き起こすといわれています。
振り返るとまさに、高校3年生のころの私は自己肯定感の低い生徒でした。
聖書で、こんな言葉があります。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得がありましょう」
自分を大切にするというのは、甘やかすことでも、自分勝手になることでもありません。
では、具体的にどういうことなのか、長い間考え続けましたが、まず自分がありのままの自分を受け入れる、ということではないかと思いました。
自分を大きく見せる必要も、反対に過小評価する必要もありません。だめでも、情けなくても、いい。それが自分だと受け入れて、初めて、前に進めるのではないかと感じています。
これは私個人の考えですので、皆さんも、自分を大切にできているかな、と、時には立ち止まって考えてみてください。そのことには大きな意味があります。人間関係において、自分のことを大切にできている人は、自然と 他人を大切にすることができます。反対に、自分のことを大切にできていない人は、他人を大切にすることはできません。自分を大切にできているかな、と、立ち止まって考えてみることは、他人を大切にすることにもつながります。
もう一度質問します。皆さんは、今、自分を大切にできていますか。また、どのように 大切にしていますか。
今、自分を大切にできていないと感じる人も、焦らず、自分のことを少しずつ認めてあげる勇気を持ってください。自分のありのままを受け入れるというのは簡単なことではありません。時間もかかることでしょう。ですが、今よりもずっと、心が軽くなるはずです。
皆さんが、自分も他人も大切に思うことができる、そしてどんな相手であっても手を差し伸べることができる、そんな心の余裕と愛情のある、素敵な女性になっていってほしいと願っています。
これで、宗教朝礼を終わります。
H.K.(保健室)