シスター・先生から(宗教朝礼)
2015.12.02
2015年12月2日の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
今、流している曲の前奏が始まると、まるで条件反射のようにこみ上げる思いが湧いてきます。卒業式によく歌われ、卒業生に愛されている曲「旅立ちの日に」です。
高校3年生の方は、不二での生活も残すところ3か月足らずとなりました。1月からは、受験生の方々が自宅学習となり、学年やクラスのメンバーがそろう機会は、この12月の生活が、最後となります。クリスマスを迎える月でもあります。学院全体が、格別な祈りの日々を過ごせるよう心掛けましょう。
何度か、卒業生を送り出す担任をいたしました。どの学年も印象深く残っています。
かつて、ちょうどこの時期、プラクティスについて、宗教朝礼でお話がありました。「カットリックにとってとっても大切な、そして大きな喜びであるイエズス様のご降誕を待つときに行われるプラクティス。大切なことを待つときは、特に心を静め、静けさの中で待ちます。その静けさに繋がる行動をすることがプラクティスです。」このようなお話を聞いて、大学入試の合格発表を待っている高3の一人の生徒が、「これは、私のことだ、と思いました。」といいました。そして、普段にもまして、淡々と落ち着きを保って、日常の生活を送っていたことを思い出します。誰よりもプラクティスの厳しさと、その後の喜びを味わった生徒ではないかと感じました。
そして、この曲について
「自分たちの歌いたい歌を歌わせてください」その思いからこの「旅立ちの日に」を卒業式で歌えるようにした学年。この生徒達は、リハーサルでは、素晴らしく美しいハーモニーで歌い上げ、下級生から自然に大きな拍手がわきました。本番の卒業式では、上手く歌えなかったとその後、放課後に全員で肩を組み大きな円陣になり、私も仲間に入り、歌ったのを思い出します。
また、体育大会の晴れを願って不用なポスターや新聞紙で、大きな粗末なテルテル坊主を作った学年もありました。その後、11月には、なぜか、合格祈願の神様になっていて、「明日試験です。」と手を合わせている姿や、てるてる坊主に合格祈願のお札をつるしたりしている生徒もいました。
こんな生徒もいました。中学2年生のとき本館前で、マンガ本を読んでいて、私に取り上げられた生徒がいました。反抗期でもあった彼女はその後、職員室にきて大きな態度で、制服のジャケットを腕まくりをして、「返してください。」と食い下がってきて、ひと悶着あった生徒でした。高校3年生で担任になり、彼女とクラス担任としても授業の担当としても、初めて関わりました。看護師を目指す彼女は、昔のことは忘れたように、相変わらず態度は粗野でしたが、進路選択の相談に来たり外部模試の結果を報告しに来たり進路実現に向けて努力していました。後期から欠席が目立っていましたが、ある朝礼の時、「クリスマスキャロルのときは、あのひな壇にみんなで載ろうよ。数年後に同窓会とかで会ったとき、あの時、私はあそこにみんなといた、感動を共有できた、そのことが宝になりますよ。」そう言った私の言葉に応えくれました。キャロル当日に、登校した彼女は「小野先生が、『来い』ってうるさいからさあ」と憎まれ口を言っていました。卒業式が終わり、最終バスの出る前に教室に行くと彼女を含め数人が教室の自分の席にいつまでも座っていて語らっていました。「なんか、よかったよねー。この学校、明日から寂しくなるなあ。」などと呟きながら。
今、彼女は大きな大学病院の集中治療室で看護師として働いています。凛とした社会人となり、秋のつどいにきて挨拶をしてくれました。
そういえば、例のテルテル坊主は、ある生徒が持って帰り、結構御利益があるとか。簡単に処分できなくて、お寺に奉納しようかと考えている、と聞きました。
イエズス様のご降誕を祝うクリスマスキャロルや、そのための準備を通して、周りの方々の幸せをお祈りしましょう。全校生徒の一致した皆さんの歌声が、祈りそのものです。この12月を格別な月にいたしましょう。
これで宗教朝礼を終わりにいたします。
K.O.(理科)