シスター・先生から(宗教朝礼)
2015.10.21
2015年10月21日放送の宗教朝礼から
これから宗教朝礼を始めます。
皆さんは「こころをえぐられる」あるいは「こころが押しつぶされそうな」風景を見たことがありますか。今日は、私が出会った風景についてお話ししたいと思います。
私はこの夏休みに、初めて東日本大震災の被災地にボランティアに行きました。震災から4年、皆さんは被災地の様子がどのようになっていると想像しますか?
4年経ったし、復興のニュースも聞くし、震災前のように、とまではいかなくても、住民の方々が普通に生活できるくらいまでに戻っているのではないだろうか。あるいはそのための準備は進んでいるのではないか。実際に行くまで、私は何の根拠もなく、そう考えていました。
私がボランティアに行ったところは、福島県南相馬市のカリタス原町ベースです。以前不二聖心で先生をされ、私も中学高校、そして就職してからもお世話になった、シスター畠中が活動されています。福島県南相馬市と聞いて、何か思い浮かぶことはありますか? 震災前で歴史好きな人だったら伝統行事である「相馬野馬追」を思うかもしれません。しかし、今、この地名を聞いて真っ先に思い浮かぶのは福島第一原発でしょう。南相馬市は原発の北側にある地域で、市の半分くらいが避難指示地域となり、人が住めない状態になっています。ベースのある原町はその地域の外側にあり、自分の自宅に住んでいる人と仮設住宅に住んでいる人がいる地域です。そこで私は、仮設住宅で生活されている方々との交流と、避難している方の家の庭の草刈りをしてきました。
南相馬に行くには、東北新幹線で郡山か福島まで行き、バスに乗り換える、常磐線で途中まで行き、振替バスで行く、あるいは高速バスや自家用車で行く、のどれかですが、私は自分で車を運転して行きました。常磐道は東京から千葉、茨城を通って福島に入ります。福島県いわき市までは普通の高速道路の風景でしたが、先に行くにつれて窓の外の風景が変わりました。まず、道端に放射線の量を示す線量計が設置されていました。そのうち道の両脇に黒い大きな袋が積み上げられているようになりました。福島で、積み上げられた黒い大きな袋といえば、除染作業で出た土などの汚染廃棄物が入っている袋です。さらに進むと窓が開けられなくなりました。二輪車は一般道を走ることはできません、という表示も出てきました。この時運転しながら見た風景が、最初にお話しした「こころをえぐられる」風景の一つです。家はある、道路もある、なのに人の気配が全くない風景。雑草が伸び放題になっている田んぼらしきところ。地名を確認すると双葉町とありました。そこは未だに放射線量が多く、帰還困難地域になっているところでした。そこを通り過ぎていくと次第に住民の気配が戻り、原町に続く道に出ました。この、人が住めるところと住めないところが隣り合っている状況を見て、自分は今まで何を見てきたのだろうか、と落ち込みました。
次の日見た風景は、さらに衝撃でした。次の日、初めて原町ベースに来たという広島からの高校生と一緒に、ベースの方に被災地を車で案内していただきました。前日高速道路で北上したのとは逆の、一般道を南下していきました。南下するということは原発に近づいていくということです。一般道なので信号で止まりますし、周辺の風景もよく見えます。そこで見た風景は私の想像を超えていました。帰還困難地域で見たのは、津波で流された車が家に突っ込んでいる状態のままの家。傾いたまま、崩れたまま放置された家。棚に商品が置かれたままになっているコンビニや商店。個々の家の入り口には人が入れないよう柵が張り巡らされています。避難指示解除に向けて準備が進められている地域は、車の外に出ることができましたが、ふと家の脇や空き地を見ると黒い袋が積んであります。かつて田んぼであっただろう広い空間に、黒々と袋が積み上がっているところもあります。震災前は駅のホームからきれいな海が見えたであろう、常磐線の富岡駅は津波でホームだけが残っている状態のまま、そのホームからは堤防のように視界を遮る黒い袋の壁が広がっていました。
震災の時の津波の映像や、その後の何もかもが流された風景は本当に衝撃でした。しかし、それは震災から4年が経った今、もっと普通に戻っていると思っていた。この時見た風景は、そんな自分の甘い認識を打ち砕き、まさにこころをえぐられる、押しつぶされるような風景でした。
ただ、この風景だけによってそのような気持ちになったわけではありません。むしろ、その風景を作り出した原因が自分たちの生活にある、という事実に気づいたこと。これがこころをえぐられた原因です。
福島原発で作られた電気は東京電力のものです。福島の電気は東北電力から供給されています。つまり、原発事故で避難などの被害を受けた方々は、自分たちも使っていた電力を発電する原発の事故ではなく、自分たちとは関係ない、関東地方で使用される電気を発電する原発の事故で、住む家を捨てざるをえなかったのです。このことは事実として知ってはいましたが、実感を伴った現実とした意識していなかった。自分たちが当然のように受けている豊かな生活が原発事故の被災者の方々の苦しみ、悲しみの上に存在すること。それに気がついた時のものすごい罪悪感といたたまれなさ。
私は南相馬に行って以来、街灯が煌々と点いているのを見るたびに、あの、人が住めなくなっている地域の暗さを思い出します。豊かに実った田んぼに、二重写しのようにして、黒い袋に占拠されている田んぼが見えます。そしてそれを見た時の「こころをえぐられる」ような罪悪感といたたまれなさを感じます。
見ること、感じることを避けて、心地よく過ごすことは簡単で魅力的です。しかし、「神様はもっともちいさなものとともにいらっしゃる」と聖書は繰り返し私たちに伝えます。聖マグダレナ・ソフィアは貧しい女の子の、聖フィリピン・ドゥシェーンはネイティヴ・アメリカンのために常に祈っていらっしゃいました。私たちも、もっと楽に、もっと豊かに、と進む足元で忘れられてしまうかもしれない「ちいさなひと」に気づく努力を惜しまず、寄り添う気持ちを忘れずに毎日を過ごしていきたいと思います。
H.N.(地歴公民・社会科)