シスター・先生から(宗教朝礼)
2015.10.07
2015年10月7日放送の宗教朝礼から
これから宗教朝礼を始めます。私はある出来事を通して、日記をつけるようになりました。そして、日記には、ある一つのことを意識して書いています。
私には祖母がいるのですが、昨年の5月に、急に入院をすることになりました。重い病気ではなく、すぐに退院できると聞いていました。退院する日が近づき、お見舞に行くと、祖母のいる病室でうなり声が聞こえてきました。祖母の様子が急変したのです。祖母の「苦しい。痛い。」といううなり声はなかなか収まりませんでした。
私は、弱音を一切はかない祖母が、苦しんでいる様子に驚き、「おばあちゃん、大丈夫だよ。もう少しで苦しくなくなるからね。」と励ましの言葉をかけ続けました。祖母は、苦しかっただろうに、「苦しい。ありがとう。」と何度も私を気遣っていました。その後、お医者様に呼ばれ、祖母は軽い病気から、大きな病気が発病してしまったことが分かりました。私は祖母と一緒に住んでいました。祖母は、大人しい人でした。しかし、私が仕事に行く時には、必ず私の車が見えなくなるまで見送り、私が仕事から帰ってくると、「おかえり」と言ってくれました。祖母の体調は急激に悪くなり、とうとう、意識がなくなり、目も開かなくなりました。祖母が入院してまだ一週間でした。私は毎日祖母の病室に行き、祖母が寒くないようにと、腕やふくらはぎをさすりました。しかし、入院してから10日がたった頃、祖母の危篤状態の知らせをうけました。危篤の知らせをうけてから一夜あけ、次の日に仕事から病室に駆けつけると不思議なことが起こりました。もう最後だと思い、私は、意識のない祖母に「ただいま」と耳元で声をかけました。その時だけ、祖母の片方の目が一瞬開いたのです。その時、祖母が毎日私の帰りを待っていてくれたんだと実感しました。祖母のために何か最後にできることはないか?と考えた時、祖母が毎日日記をつけていたことを思い出しました。祖母の生きた証を祖母の代わりに最後までしっかりと記録してあげたいと思い、自宅に戻り、祖母の日記を探しました。祖母の日記を見つけた時、祖母の日記を初めて読みました。そこには、周りの人からされて嬉しかったことや頂いた贈り物などをかかさず日々記録していました。そして、日記には、祖母の生活の記録というより、私たち家族の生活への思いが残っていました。祖母の日記は祖母が入院する直前まで書かれていました。
「5月8日木曜日 ゆうかちゃんがアメリカ体験学習の引率に決まったという報告があった。これから忙しくなるかもしれないが生徒さん達のために責任をもって頑張ってほしい。」と書かれていました。私は大人になり、一通りのことは1人で出来ているように感じていました。しかし、見守ってくれている家族がいるからこそ、私は自分のことを頑張れていたことに気づかされました。そして、自分だけでなく、周りの全ての人に、その人のことを大切に想う家族がいること。子供であっても大人であっても、その人は、誰かにとって見守られている大切な存在であること。そのことを祖母の日記から教えてもらいました。
祖母は、その後、大学病院で手術をすることになりました。そして、祖母は今日も日記を書いています。祖母のように、私も周りの人との思い出や日々の幸せなことを記録していきたいと感じ、日記をつけ始めました。一日の中で、嬉しかったことや幸せをもらったことを書こうとすると、日々の中に、幸せなことが沢山あって書ききれないぐらいでした。今までは、特に何もない日がほとんどだと思っていたのですが、実は、沢山の人から毎日小さな幸せ、大きな幸せをもらっていることをしりました。
皆さんは一日の中で、嬉しい気持ちと悲しい気持ち、どちらの気持ちを多く感じますか?私は学生時代、毎日自分が不幸だと感じて過ごしていた時期もありました。また、不二の生徒皆さんのひとりひとりの悩みを知らない私が、皆さんに「幸せなことを毎日見つけてほしい」とは簡単に言えないとも感じます。大人になった今でも、私自身、どうしようもなく悲しいことが起きた日は、何も日記に書きたくないと思うのです。その時には、「今日生かされたことに感謝します。」と書くようにしています。悲しいこともあるけれど、確実に、私たちは毎日何かしらプレゼントをもらっているのです。それは、笑顔だったり、挨拶だったり、小さいことかもしれませんが、皆さんを幸せにしてくれることが沢山あります。皆さんが日々の幸せなことを見つけることで、皆さんの毎日が、深い日となり、皆さんの心が、やさしい気持ちになると嬉しいです。そして、本当に辛いことがあっても、きっと誰かが絶対に、皆さんのことを見守ってくれてるはずです。
これで宗教朝礼を終わります。
Y.S.(寄宿舎)