シスター・先生から(宗教朝礼)

2015.04.22

2015年4月22日放送の宗教朝礼から

みなさん、おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
4月も第3週目です。速足で咲いた桜も、この寒さと荒天で散り始め、みなさんの生活も桜と同じように、満開でワクワクドキドキ!楽しみ!という状態から、少しずつ落ち着きを見せ始めたのではないでしょうか。
新学期に入り、新しいクラス、新しい授業が始まると、私はみなさんに自己紹介することが多くなりました。私は不二聖心の先生になって2年目です。私のことを知ってくれている人も増えてきましたが、まだまだ「知らない先生」である人が多いのではないでしょうか。そう思い、私は必ず初めて出会うクラスの最初の授業では「私は○○○○です」と名乗るようにしていました。
新しい友人との出会い、新しい先生との出会いが多い4月は、みなさんにとっても、「私は○○○○です」と、自分の名前を名乗ることの多い月なのではないでしょうか。

みなさんは、自分の名前が、どのような理由でつけられたのかご存じですか。私を含めみなさんの名前というものは、ご家族に祝福されて生を受けてきたあなたがたが、ご家族の何らかの思いによって受ける、最初のプレゼントだと言えるでしょう。

さて、生まれて初めて受けるプレゼントである自分の名前ですが、私は小さい時からこの名前が大嫌いでした。学校や病院等でフルネームで呼ばれようものなら、本当に嫌で嫌で仕方がありませんでした。なぜかと言うと、大人でこそ、私の名前を読める人は多いものの、同年代の子供たちの中ではまれな響き、そして漢字のために、「なんて読むの?」と聞かれることの多かった私は、勝手に名前に対するコンプレックスを抱くようになっていました。特に、自己紹介をしなければならないことの多い4月は憂鬱でした。
コンプレックスを抱いていること自体も忘れかけた大学生の頃、私を名づけた父に「どうしてもっといい名前にしてくれなかったの」と愚痴を言いました。
父は言いました。私は実は男の子の予定で、男の子なら「つよし」の息子の「たける」という名前だった。しかし、急きょ「健」という人の娘である「道子」からとって私の名前にした。
私の父は「つよし」という名前です。その名前は、私の祖父が昭和6年に総理大臣であった犬養毅という人物からとって父に名づけたものです。

日本史の教科書によく出てくる犬養毅は、1855年岡山県の士族階級に生まれ、政友会総裁として1931年に総理大臣を務めました。憲政の神様とも言われ、満州国承認を延期するなど、軍部の独走を抑止しようとしたため、1932年、青年将校らに暗殺されました。毅の二男である健は、文学者であり、岸田劉生や武者小路実篤などの白樺派と呼ばれる文人と交際し、作家を志すようになったと言われています。幼少期その影響を強く受けた娘、道子はその著書の中でも、父健を「人生の最初の日々をこの上なく充たされたものに作り上げてくれ、心の中にはきらめきを与えてくれる、花のごとく星のごとき存在」であったと述べています。
文学者である父と、政治家である祖父に囲まれて育った犬養道子は大学卒業後、海外へ渡り、戦後の高度経済成長期の中で、女性としてはまだ珍しかった海外生活経験者として、評論家として活躍しました。
ここまでは大学生までの私が認識していたことです。この程度の浅い知識でしか彼女を理解していませんでした。
先日、温情の会委員会で使う、様々な募金団体から届くニュースレターを整理していました。そこに「犬養道子基金」という少し古いパンフレットがありました。
犬養道子基金とは、1961年に道子の著書の印税によって発足しました。当時奨学生の第一号としてベトナム難民の中学生を選び、一躍話題になりました。キリスト教的「人間家族・人間みな兄弟姉妹」の理念を踏まえ、基本的人権を戦争・内紛・不正等によって奪われた難民の青少年の友となり、彼らから学び、共にひとりひとりの人間としての自立可能な将来への道をさぐることを目的としています。具体的には、彼らが求める「教育を受けるチャンス」を、奨学金の形で与えます。また、国内につきましては、難民学生支援を開始し、条約難民・在日定住者の学費・生活支援を行っています。

私が面白いなと思った点が、難民支援というと、衣食住に関することに目が向きがちですが、彼女は実際に世界各地を訪れた経験から、それらの支援の重要さと、実行するうえでの具体的な問題点をいくつか挙げています。この基金が設立されたのは流通がまだ発達していない時代で、いくら食料や衣服を集めても、それを輸送するのにかかる費用も出すのでなければいけなかったそうです。そして、難民の方々が真の意味で一人で強く生きていけるようにするには、十分な教育が必要だと主張しています。
そして、厳格なカトリック教徒である彼女の視点や生き方を知りました。難民へ目を向けられるなどと言った広い視野は、キリスト教的な視野をもっているからこそのものではないだろうか、と感じています。彼女は聖書について、初心者でもわかりやすい著作を手掛けており、まだ読んではいませんが、私は興味を持ち始めました。
キリスト教徒として信念をもち、生きる彼女と、彼女の名前から名づけられ、今ここでこうして、キリスト教の教育に触れながら教鞭をとっている私と、何かの縁でもあるのだろうか、そのようなことを考えてしまいました。

さて、私の祖父や父は単純に「世間にこのような人がいて、かっこいいから」程度にしか子供にその名前をつけていなかったのだと思います。
しかし、ある人の生き方を新たに学んだこれからの私は、きっかけはどうであれ、自分の人生とは直接かかわりがなくても、私のどこかにその人物の生き方や、視点を根付かせることができたらいいなと思っています。彼女の生き方を志し、そっくり真似をしようとまでは思いませんし、できっこないことですが、彼女の思い、行動は、私の人生の中のほんの片隅に何らかの種を植えているのだと思います。
みなさんも、どのようなきっかけでも構いません。自分とは異なるほかの人間、それも全く別の生い立ちをもった人々の知恵や、生き方をたくさん学んでみてください。その人物の視点をもつということは、新たにあなた自身の視野が広がり、心がさらに豊かになるということなのですから。
これで宗教朝礼を終わります。

M.O.(国語科)