シスター・先生から(宗教朝礼)

2014.10.15

2014年10月15日放送の宗教朝礼より

おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

後期が始まり、一週間が経ちました。先週は答案返しがあり、学習の成果が表れた人、次はもっと頑張りたいと思った人…さまざまだと思います。「学問の秋」とも言われるように、秋は気候も良く、集中して何かに取り組むにはぴったりの季節ではないでしょうか。

 ところで、みなさんは何の為に勉強するのかと聞かれたら、何と答えますか?きっと一人ひとり答えは違うと思います。今日は「学ぶ」ということはどういうことなのか、私なりに感じたことをお話ししたいと思います。

 中学校に入るまでの私なら「なぜ勉強するか」と聞かれたら「テストがあるから」としか答えられなかったかもしれません。しかし、不二聖心で学び、学年が上がるにつれて新しい教科に出会い、少しずつですが勉強が楽しいと思えるようになりました。当時の私は特に英語が好きで、新しい単語や文法を習ったり、友だちと会話の練習をしたりと、毎日の授業がとても楽しかったのを覚えています。そして「いつか外国の人と英語で話せるようになりたい」という思いが強くなりました。その一方、好きな英語以外の教科は苦手意識もあり、勉強時間にも偏りがあったように思います。しかし、そんな私に転機が訪れます。高校1年生の時、オーストラリアからの留学生が私の家にホームステイをすることになり、私は「英語が話せる良いチャンスだ」と張り切っていました。その留学生はオーストラリアの学校でも日本語を学んでいたとのことで、私と彼女はお互いが分からない部分は英語を使って会話をしました。それでもいつもよりは英語を使う機会が増え、少しですが英語が話せるようになった気がしました。ある日、彼女が日本の文化についてスピーチをするということで、私にその原稿を見せてくれました。原稿には、日本とオーストラリアの文化の違いや日本文化の素晴らしさなどが流暢な日本語で書かれており、日本人である私以上に日本のことを理解している彼女にただただ驚いたのを覚えています。その時、私は「英語が話せるだけではだめなんだ。外国の人と交流するということは、日本や世界の歴史や文化を知ることなんだ」と気づかされたのです。この体験をきっかけに、苦手な教科に対しても以前より前向きに取り組めるようになった気がします。

 昨年の夏、私は初めて韓国体験学習の引率をさせていただきました。その時に韓国人ガイドさんがおっしゃった言葉がずっと忘れられずにいました。それは「みなさんは何の為に勉強しますか?どうか韓国と日本の平和のために学んでください」という言葉です。ガイドさんの言葉には、知識を増やすことで終わるのではなく、それを平和のために生かしてほしいというメッセージが込められています。

 みなさんはフランス語の「ノブレス・オブリージュ」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。一般的にノブレス・オブリージュは、貴族、あるいは高貴な者の義務と訳され、社会的地位の高い者はそれにふさわしい義務を負うべきであり、一般の人よりも多くの規範に従うなどの責任を担うことを意味します。多摩大学大学院教授の田坂広志氏は、ノブレス・オブリージュは今日において「"高貴な人間が自覚すべき義務"という意味から、"恵まれた人間が自覚すべき義務"という意味になっていくだろう」と述べています。学ぶ機会に恵まれているということはつまり、その知識をもって社会に貢献する責任や義務を伴うと考えられるのではないでしょうか。これは聖心の学校で学ぶこととも通じる部分があります。「学ぶ」ということは、机に向かって問題を解くことや、テストでいい点数を取ることだけを指すのではないと私は思います。そして、不二聖心で学ぶみなさんには、本当の意味での「学び」に気づくチャンスが多くあることでしょう。ぜひその機会を見逃さず、学ぶことのできる環境に感謝しながら、学校生活を送ってほしいと思います。

これで宗教朝礼を終わります。
A.T.(寄宿舎)