シスター・先生から(宗教朝礼)
2014.10.08
2014年10月8日放送の宗教朝礼から
宗教朝礼を始めます
皆さんはどのような時に神様にお祈りしたい、と思いますか?
別にキリスト教の神様でなくてもかまいません。漠然としたイメージのなかにある「神様」でいいのです。
自分の力ではどうにもうまくできなかったり、どうしようもないことにぶつかったとき。
自分では受けとめきれない辛いことや悲しいことがあるとき。
どうしても実現したいことがあるとき。
あるいは、無理だと思っていた願いがかなったとき。
「助けて!」とか「お願い!」というお祈りもあれば、「ありがとう!」というお祈りもあるでしょう。
また、自分ひとりのためもあれば、自分の周りの人々のため、あるいは、自分から離れた人々・地域・できごとのためのお祈りもあるでしょう。
自分の気持ちをそのままお祈りの言葉にするときもあれば、決まった言葉、形でお祈りすることもあります。
お祈りの形は多様で、そのいろいろなお祈りの間に「いい」「悪い」もありません。それぞれのお祈りにどのくらい心が込められているかが大切になります。
カトリックにはいくつか決まった形で決まったときに行うお祈りがあります。10月はカトリック教会では「ロザリオの月」といい、ロザリオのお祈りをすることを大切にする月です。
ロザリオ、という言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。今はアクセサリーの一つとしてファッション誌などでも取り上げられたりしていますが、もともとはカトリック教会で使うお祈りの道具です。正式な形は、大きな珠の間に小さな珠が10個つなげられていてそのまとまりを1連といい、それが5組つなげられて1つの輪になっています。これを1環と数えます。中には大きな珠1つと小さな珠10個、という略式の物もありますが、この基本的な数は変わりません。なぜならば、ロザリオの祈りは、それぞれの珠に割り当てられた小さなお祈りを、それぞれ決められた回数、繰り返し唱えるお祈りだからです。大きな珠のところで主の祈り、小さな珠の所ではアヴェ・マリアの祈りを唱えます。一つ一つのお祈りはカトリック教会で基本とされているお祈りで、決して難しいことをお祈りしているわけではありません。その小さなお祈りを繰り返し積み重ねていくことがロザリオの祈りの大切なところです。
でも、決まったお祈りをただ繰り返していればいいのか、という疑問も出てきます。それは本当に「お祈り」といえるのでしょうか。
私が卒業した小学校は、カトリックの学校の中でもかなり厳しいところでした。宗教の授業にもテストがあり、成績がつきました。私は小学生の時は信者ではなかったので義務はありませんでしたが、信者は学校で行われるごミサの前日には必ずゆるしの秘蹟、つまり、神父様に自分の罪を告白し、償いをする、ということをしなければなりませんでした。そのような厳しい雰囲気のある学校では、10月はもちろんロザリオの祈りをすることが大切にされていました。学校の中にある小さなお聖堂へ休み時間に行って、ロザリオのお祈りをし、カードに花のシールを貼っていく、ということをしていました。「祈りの花束」というこの活動は学校の中でとても大切にされ、たくさんの花で飾られたカードはお祈りをした本人の名前とともに神様にささげられたりしました。低学年の時は「困っている人のために」とか「病気の人のために」と目的を決めて、純粋にお祈りをしていましたが、高学年になると、友達の間でカードにいくつシールが貼れたか、という競争になってしまい、ただ口先だけで祈りの言葉を唱えているだけになっていました。他の人よりたくさん唱えた、ということに満足していて、全く心が入っていない状態でした。これではとても「お祈りした」とは言えません。
「祈る」という行為は必ず祈りを向ける相手がいて、その相手がその祈りを聞いてくださる、という信頼があるからできること。そして、人間を超えた存在に叫ぶほど切実な願いや気持ちがあること。決まった言葉を使ってお祈りする時にも、この本質は変わりません。
ロザリオの祈りは、マリア様とイエス様の一生を振り返りながら、自分と神様の関わりを見直し、マリア様の取り次ぎによって私たちの救いと世界に平和が訪れることを願う祈りです。ロザリオの祈りは、先程お話ししたお祈りを唱えるごとに一つずつ珠を手繰っていきます。そして1周ごとに決められたテーマを思い起こしながらお祈りします。1周目はマリア様へのお告げとイエス様の降誕の喜び、2周目はイエス様の受難とマリア様の悲しみ、3周目はイエス様の復活と昇天、そしてマリア様が天にあげられたこと。1周すると主の祈り5回、アヴェ・マリアの祈り50回、詠唱5回と唱えることになり、これら全部を行うとアヴェ・マリアの祈りはなんと150回唱えることになります。声に出してこれらを唱えることは時間もかかり大変なことです。しかし、大切な自分の時間をひととき、神様に気持ちを向け、イエス様とマリア様の生涯を思い起こし、そして、どうしても神様に聞いていただきたい切実な願いや、人間の力だけでは難しい、世界の平和を思う。それを続けることは、ひょっとしたら世界を変える大きな力になるかもしれません。2代前の教皇様であるヨハネ・パウロ2世はロザリオの祈りを「様々な危機の破壊的力と戦うため」の最大の力となるお祈りだとおっしゃっています。
10月はとても慌ただしく忙しい月です。その漢字が示すように、心が荒れ、心を亡くしやすくなるときです。さらに、今、日本でも世界でも人間の力だけではどうにもできないような悲しみがあふれています。そんなときだからこそ、お祈りの時間を大切にしましょう。クラスでのお祈り、朝礼でのお祈り、寄宿生の夕の祈り。もし時間を見つけられたら、お聖堂に行ってロザリオのお祈りを1連でも唱えてみてもいいかもしれません。
最後にとても素敵なお祈りを見つけたので紹介します。マザー・テレサが残されたお祈りの一つです。
「主よ、私たちの目が、
兄弟姉妹の中にあなたを見いだしますように。
主よ、私たちの耳が、
苦しむ人々の叫びを聞き取りますように。
飢えと寒さ、恐怖と抑圧にさいなまれる人々の嘆願を。
主よ、私たちの心が、
互いに愛し合うことを学びますように
あなたが私たちを愛されたその同じ愛で。
主よ、あなたの“霊”を
今日も私たちにお与えください。
あなたの名において
私たちが一つの心、一つの魂となれますように。アーメン。」
(女子パウロ会HP ラウダーテより)
これで宗教朝礼を終わります。
H.N.(地歴公民・社会科 宗教科)