シスター・先生から(宗教朝礼)
2014.09.25
2014年9月24日放送の宗教朝礼より
おはようございます。宗教朝礼の時間です。
先々週の祈りの会は、皆さんにとってどうだったのでしようか。各学年とも、充実した祈りの会が実施されたと思います。
この時期に行われる祈りの会には、大切な要素が2つあると思います。
1つは、長い夏休みに不規則な時間を過ごしてきた人にとっても、また、あわただしく過ごした人にとっても、この祈りの会の存在は、自分を振り返るという意味で、貴重な時間を過ごす意味があります。
また、もう1つ重要な事は、学年を重ねるごとに、神様と自分とのかかわりを深め、自分を大切にする心、他人を思いやる心、そして、世界とのつながりを大切にする心を育てるということです。 成長の段階に合った、重要なプログラムが組まれているとつくづく感じています。
私も7年ぶりの引率で、高校2年生の祈りの会旅行に参加してきましたが、長崎で過ごした4日間を本当に大切な時間として過ごすことができ、充実した祈りの会となりました。 一番印象深かったことは、『愛の殉教者・コルベ神父』の生涯に触れたことで、本当に心に響きました。
彼が何故、教皇ヨハネ・パウロ2世により聖人の位を与えられ、『愛の殉教者』と呼ばれるようになったのか?「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15章13節)」という聖書の言葉がありますが、コルベ神父は文字通りこの言葉を体現したからでしょう。
1930年4月24日36歳のコルベ神父は「けがれなき聖母マリアを全世界の人々に示す」という大きな夢を持ち、数名のポーランド人修道士達と共に、布教活動をしたのが長崎にやって来られました。
しかし、その後、祖国の修道院の院長に選ばれたため、1936年にポーランドに帰国することになりました。 しばらくして第二次世界大戦が始まり、ポーランドはドイツ軍に占領されてしまいました。
ナチスは、カトリックの教えとナチスの思想は相反するとして、1941年2月17日の朝、コルベ神父をゲシュタポにとらえ、ワルシャワのアウシュビッツで強制労働のために収容してしまいました。
その年の7月末、収容所内のコルベ神父の班の中から脱走者が出たため、見せしめのために同じ班の中の10人を餓死刑にすると所長が宣言し、10人の収容者が選ばれたのです。沈黙と息詰まる時間が流れる中、1人ずつ番号が読み上げられていきました。番号を呼ばれたある1人が、自らの不運を嘆き「ああ妻や子供に会いたい」と泣き崩れました。するとその場に居合わせたコルベ神父が収容所長の前に出て、「お願いしたいことがある。自分は、カトリックの司祭です。 妻子のあるこの人の身代わりになりたいのです。」と申し出たのです。その場の全ての者は呆然とした状態になりましたが、しばらくして所長が「よろしい」と答え、他の受刑者と共にコルベ神父は死の地下室の餓死監房に連れて行かれました。
餓死監房は2度と生きて出ることはできない場所でした。 コルベ神父は、監房に入れられた時も、ロザリオの祈りを唱え、また聖歌を歌い、他の受刑者も一緒に祈り、歌い、苦しみの中で人々を励まして、仲間の死を見送り、死の地下室を聖堂に変えていったそうです。
食事も、水も与えられない中、収容後2週間後8月14日。コルベ神父を含め4人が生き残っていましたが、死を早めるために注射を打たれ、永遠の眠りについたのです。注射のときコルベ神父は自ら腕を差し出したといいます。47歳だったそうです。
コルベ神父の殉教は、身代わりとなって1人の命を救ったこと、そして他の収容者と苦しみを共にしたことを含め、人々に深い感動を与えました。1971年にパウロ6世により福者の位を受け、列福されました。1981年、教皇として日本を初めて訪問したヨハネ・パウロ2世は長崎のコルベ記念館「聖者コルベ小聖堂」でこの福者のために祈りを捧げました。その時の台と椅子がコルベ小聖堂に、今でも置かれています。その1981年のヨハネ・パウロ2世の来日時、東京で行われた記念式典に、本校のシスター方、先生方も、出席していたことを記憶しています。今の高校校舎のヨハネ・パウロ館もこの来日を記念して命名されました。
翌1982年、コルベ神父は、教皇ヨハネ・パウロ2世によって、聖人の位を受け列聖されました。式典にはコルベ神父に助けられた男性ガイオニチェク氏の姿もあったそうです。彼は奇跡的に、終戦まで生き延びて解放され、94歳の天寿を全うするまで、コルベ神父に関する講演を世界各地で続けたそうです。
ロンドンのウェスト・ミンスター教会のとびらに『20世紀の殉教者』の1人としてコルベ神父の像が飾られています。
私は、今回の祈りの会では、コルベ神父の生涯をとおして、人間の過ちを露呈した戦争と、日々の幸福について考えさせられました。神父様は、世界の平和を願うなかで、愛と祈りこそが、それを実現できると考えたのではないでしょうか。
高2の祈りの会、最終日の中町教会でのミサの後に、生徒の代表が神父さんに伝えた祈りと感謝の言葉を紹介します。
『本日は、この中町教会でミサに預からせていただき有り難うございました。私たちの祈りの会は、他校の修学旅行とは全く違っていますが、4日間様々な教会を訪れ、祈ったり、様々なことを知ったりしていく中で、成長していく自分が垣間見え、とても意味のあるものだと実感しました。また、私たちの世代は、後世に伝えなければならないことや、背負っていかなければならないものが多いです。しかし、4日間で学んだ祈りの心は国境を越えていくことを信じ、26聖人のように強い意志を持ち、そして、この中町教会のような純白な心を持って生きて生きたいと思いました。本日はありがとうございました』と結びました。
ひとまわりも、ふたまわりも成長した、高校二年の生徒たちの、心と考え方が、コルベ神父様の願いと一致していることに喜びを感じました。
これで、宗教朝礼は終わります。
M.T.(保健体育科)