シスター・先生から(宗教朝礼)

2014.07.02

2014年7月2日の宗教朝礼より


おはようございます。宗教朝礼を始めます。
宗教行事が終わると、私の職員室の机の上には学年を越えた沢山のノートの山が出来ます。演奏の振り返り、ごミサの中で感じた事、上級生の聖歌が素晴らしかったという感想などを綴った皆さんの自主提出のノートを読ませて頂き、同じ様に感動したり、演奏を振り返ったりとノートを拝見する時間は私にとってとても豊かな時間です。
今、お預かりしているのは6月27日の「みこころの祝日」についてのノートです。6月はみこころの月でしたが、みこころとは何の事でしょうか。イエスのみこころとは全人類に対する神の愛のことであり、その象徴としてイエスの心臓を表します。聖マグダレナ・ソフィア・バラは幼い頃、イエス様の御像の前で祈って以来、みこころ(聖心)のへの思いを次第に深め、やがては祈りのうちに生涯を送りたいと思うようになりました。兄ルイの知人であった司祭から女子教育のための修道会の創立を持ちかけられ、若き日のソフィは神への信頼と勇気を持ってこの要請に応えました。イエスご自身を象徴するイエスのみこころ(聖心)に捧げられた会がまさに聖心女子学院の母体である聖心会です。
私達もみこころの祝日にはごミサに預かり、ご自身の全てを捧げられたイエス様のみこころに倣い高校生は近隣の福祉施設、中学生は学院と通学路のお掃除を行いました。当日は高校3年生の方の装飾の素晴らしさに感動するところから一日は始まりました。一人ひとりに書いて下さったカードにも思わず笑顔になりました。ごミサでも各箇所で心を尽くして担当にあたって下さる方々。そして、私も今年初めて中学生の奉仕活動にご一緒に参加させて頂きましたが、その仕事ぶりが実に心温まるものでした。「楽しくお仕事ができるように。」とお掃除の手順の確認や用具の準備、下級生に向けられる思いやりと笑顔に、同じ仕事も思いやりと愛が添えられるとこんなにも楽しいものかと思いました。
また愛のある仕草は祝日だけのものではありません。先日、学校説明会がありましたが、この日、私は英語科の先生方、高校3年生の音楽選択の皆さんと小学生の皆さんをお迎えし、英語でうたおうと題し「Let it go」をご一緒にお勉強させて頂きました。前日のリハーサルでは色々と試行錯誤でしたが、当日は沢山の小学生の皆さんと熱唱し、無事に終えられた安心感と演奏後の心地良い興奮を抱えて職員室に戻りました。そこへ「無事に終わりましたか。」とある先生が声を掛けて下さいました。私は「はい、ありがとうございます。」と答えました。すると「先生、私、昨日のリハーサルから大丈夫かなと心配で、お祈りしていました。よかったですね。」と仰ってくださいました。私はハッとしました。その瞬間、私の心の中には演奏の喜び以上の感動が広がりました。そのお気持ちがとても嬉しかったのです。
皆さんは霊的花束という言葉を聞いたことがありますか。カトリック教会では、お祝いやお礼、お見舞いなどに、「霊的花束」を贈る習慣があります。 これは、お祈りを花に見立てて、お祝いやお礼などの意向のために、ロザリオや主の祈り、 聖母マリアへの祈り、その他、意向にふさわしい祈りなどをすることです。私は祈って下さった先生から頂いた見えない花束にいつまでも感動を覚えています。
祝日でのご奉仕、お祈り、温かい仕草に心打たれるのはそこに愛があるからだと思います。
最後に聖マグダレナ・ソフィア・バラの言葉を紹介します。
「私の心の中には二つの愛の火が燃えています。一つは神への愛と、もう一つは生徒への愛です。」
時は進み新しい月になっても、みこころの月に頂いた沢山の愛の炎を絶やさない様に生活できればと思います。200年後の学院にも確かに愛の火は燃えています。
これで宗教朝礼を終わります。             K.N.(音楽科)