シスター・先生から(宗教朝礼)

2014.06.11

2014年6月11日放送の宗教朝礼より


 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。みなさん,中間試験が昨日で終わりましたね。今年度初めての試験が終わりほっとしているでしょうか。それともこれから帰ってくる結果に戦々恐々としているでしょうか。ところで,私の授業を受けたことのある方は知っていると思いますが,私はテスト返しのときに必ずアンケートをしています。アンケートといっても白紙の裏紙を切ったものを配るだけで,自由記述です。無記名でもいいので授業についてみんなの正直な思いを書いてくださいというと,授業についての感想や意見,自分の取り組みに対する反省,さらには苦情めいたものから愛の告白までさまざまなものが返ってきます。これらの意見を謙虚に受け止め,参考にしながら次の授業を考えています。しかし,なかには難しく,すぐに答えを出せないようなものもあるので,生徒の中には,せっかく書いたのに,返事が来ないじゃないかと思っている人もいるかもしれません。今日はその中のある意見について考えてみたいと思います。それは数年前の試験で,天文分野が出題範囲でした。授業では太陽系の構造や星の成り立ちについて,科学的に教えたつもりだったのですが,アンケートには,「惑星は神様がつくったので違うと思う」というようなことが書いてあり,神様のイラストまでありました。なるほど。これは難しい問題です。はたして科学とキリスト教は互いに対立するものなのでしょうか。
 これについて渡辺正雄先生の『科学者とキリスト教』を参考に考えてみたいと思います。
科学とキリスト教は互いに対立するものなのか,その答えは,科学がいつどこで生まれたのか,という問いにあります。皆さんが学んでいる科学,いわゆる近代自然科学は,17世紀の西洋諸国で生まれ発展してきました。もっといえば,17世紀の西洋諸国の思想や文化の中だからこそ,近代自然科学は生まれたのです。思想や文化が違うと自然の見方も全く異なるという話に,あくまで作り話ですが,次のようなものがあります。「三人の男がナイアガラの滝を見に行った。3人はインド人,中国人,アメリカ人だった。この滝を見てインド人が即座に感じたのは,この大自然の奥にある神だった。中国人が思ったのは,滝の傍らに庵をつくって,友人とお茶を飲みながら話をすれば,さぞ楽しいだろうということであった。アメリカ人は,どうやったらこの莫大なエネルギーをもっと有効に利用することができるだろうと思った。」このなかのアメリカ人の見方が近代科学を生んだ,西洋の人々の自然の見方を表しています。日本人はインド人や中国人の見方に近いでしょうか。このような東洋的な自然の見方からは近代科学は生まれてこなかったのだと思います。それでは近代自然科学を生んだ17世紀の西洋諸国の自然の見方とは何でしょうか。それがキリスト教の世界観に深く基づいた自然の見方だったのです。
 近代科学の父と呼ばれるガリレオ・ガリレイは16世紀後半から17世紀前半にイタリアで活躍しました。ガリレイというと,地動説を唱えて,宗教裁判で有罪にされるなど,キリスト教と対立しているイメージがあるかもしれません。しかし実際は,ガリレイは敬虔なカトリックの信者でした。ガリレイは宇宙を数学の言葉で書かれた第二の聖書であると考え,聖書が神の言葉であるように,宇宙は,神の創造の御業を現しているもので,そこに神の知恵を読み取って,神の偉大さを人々に伝えることで神に栄光を帰することになると考えていました。このような考えはガリレイだけでなくケプラーやニュートンにもみられます。ガリレイは地動説を唱えたときも教会に反対する気はなく,むしろ地動説を受け入れることが教会にとっても母国イタリアにとっても良いことだと考えていました。しかし,彼の期待とは裏腹に外交上・政治上の問題が絡み,宗教裁判で有罪にされてしまったのです。そして死後350年たった1992年にローマ教皇が裁判の誤りを認めたのでした。
 このように,科学とキリスト教は対立するものではなく,むしろ,キリスト教の価値観から生まれたものといえるのです。しかし,先のアンケートを書いた人は,実際に理科の教科書と聖書で書いてあることが違うと言うかもしれません。ガリレイは次のように説明しました。聖書はそれが書かれた当時の人々にもわかるように書かれており,もしも,聖書に地球が止まっているのではなく,太陽が止まっており,その周りを地球が回っていると書かれていたら,これを読んだ人はその部分を信じないばかりか,信仰上最も大切な部分や聖書全体を信じなくなってしまう。聖書における精霊の目的は「どのようにして天国へ行くか」を教えることであって,「どのように天が運行しているか」を教えることではない。
 このガリレイが350年以上前に示した科学とキリスト教の関係は今日の私たちにも良い指針になるのではないでしょうか。これで宗教朝礼を終わります。

                                         M.H.(理科)