シスター・先生から(宗教朝礼)
2014.05.14
2014年5月14日放送の宗教朝礼より
先日のGWに、私は中央アルプスの中の山の1つ、宝剣岳という山を大学の後輩と登ってきました。宝の剣の山と書くこの山は、標高2931m、中央アルプスを代表する険しく屹立した岩峰です。
長野県中央部にある諏訪湖に源を発する天竜川は、中央アルプスと南アルプスの間に広がる伊那谷を南に流れ、最後は遠く静岡県の浜松へと達します。中央アルプス宝剣岳への登山は、この伊那谷の中心にある長野県駒ヶ根からスタートします。JR駒ヶ根駅からバスに45分ほど揺られ、しらび平に向かい、ロープウェイへと乗り換えます。深く険阻な谷を一気に上り詰めるそのロープウェイは、わずか7分30秒で標高を1662mから2612mまで上げ、ロープウェイを下りるとそこはもう雪山の世界です。
冬のシーズンが終わり、春を迎え、夏へと移り変わるこの時期は残雪期と呼ばれ、高山はまだまだ雪に覆われているものの、気象そのものは晴天時であればとても穏やかとなり、雪山登山を最も行いやすいシーズンとなります。それに加え、ロープウェイで簡単に雪山のエリアに入れるということもあるのでしょう、GW中の中央アルプスは登山者だけでなく、スキーヤー、スノーボーダー、観光客で大いに賑わっていました。
私たちは巨大なリュックサックを背負い、ロープウェイの終着駅で計画書を提出し、登山に向かおうとしました。すると、補導員の方が1人、私たちに声をかけてきました。「あんたら、どこ登るんだ?」年齢はおよそ60前後、よく日焼けし、少し小柄でがっちりとした体格のその男性は、一見して登山経験を豊富に積んだベテランの方であることが感じられました。私たちが計画していたルートを話すと、終着駅の外に出て宝剣岳を眺め、登攀ルートを教えてくれ、さらにパソコンで写真を見せながら下降ルートの説明もしてくれました。初めてそのルートを登攀しようとしていた私たちにとって、経験豊富な彼のアドバイスがどれだけ有益であり、そして励みになったことでしょうか。
登山という世界において、経験は何よりも大切なものです。本で読んで得た知識だけではダメなのです。実際に自分でやってみたという経験こそが、何よりも重い意味を持っています。さらに言えば、成功経験だけを積んでいてもダメなのです。失敗を何度も経験し、登山の酸いも甘いも噛み分けられるようになって初めて、真に素晴らしい経験を積んでいるといえるのです。
私が大学時代、山岳部の先輩ととある山を登っていた時のことです。私は先頭を歩いていたのですが、いつのまにやら道を間違えてしまっていました。私は道を間違えたことに気づかず、全く関係のない方向へ歩みを進めていました。しばらくの間歩き続けていると、自分がイメージしていたルートと、実際に歩いているルートとが食い違いはじめ、徐々に違和感が強くなってきます。10分ほど歩いたころでしょうか、立ち止まり、先輩に「道、間違ってますか?」と聞きました。すると「うん、違うね」と返事が返ってきました。その時こそ私は「なんで間違えた時にすぐに教えてくれないんだ、また戻らなきゃいけないじゃないか」と不満に思いましたが、先輩には先輩なりの考えがあったことを、後になって気付くことができました。
私たちは人間です。人間であれば、どれだけ万全を期しようとも必ずミスはしてしまうものです。それは登山においても同じことで、どれだけ入念な準備や勉強を重ねておこうとも、いざ現場に立った時、ミスや失敗は起りうるものなのです。失敗をしないように十分な備えをすることはもちろん大切です。ですが、それ以上に、失敗をしたとしてもその失敗をリカバーすることができるだけの力を身に付けることの方が大切なのです。
登山中、私は道を間違えました。先輩はすぐにそれを指摘し、ミスを直し、無駄なく登山行動を進めることもできたでしょう。しかし、それをあえてしなかった。先輩は自分が見守りながら、あえて私に失敗をさせたのです。私自身が失敗をしてしまったことに気づき、リカバーすることの方が、失敗を即座に指摘することよりも意味があると考えたのでしょう。先輩という庇護者がいなくなっても、自分自身で失敗に気づき、立ち止まり、リカバーすることができるように。失敗したということに気づかず突き進み、命を落とすことになってしまわないように。
皆さんは、宇宙兄弟という漫画を読んだことがありますか。小山宙哉による、主人公南波六太が宇宙飛行士としての道を歩んでいく姿を描いた作品です。図書館には5巻まで置いてあるので機会があれば手に取ってみてください。その宇宙兄弟の第11巻、タイヤが2つついた宇宙ローバーという小型の探査車を作るという訓練を行っているシーンがあります。用意された予算をぎりぎりまで使い、良いパーツを使ってローバーを作ろうとする仲間のメンバーに対して、六太はこう言いました。「これだと1機作るのが予算の限界だ。失敗できない。失敗して壊れるのが前提で、最低でも2機作れるくらいの余裕があった方がいいよ。」仲間の宇宙飛行士は、やけに消極的だな、と言いますが、六太は、「モノ作りには、失敗することにかける金と労力が必要なんだよ。いい素材を使っているモノがいいモノとは限らないんだ。だけど、失敗を知って乗り越えたモノなら、それはいいモノだ。」と返しました。
登山でも、モノづくりでも、そして私たちの人生の中でも、同じことが言えるのではないでしょうか。失敗は恥ずべき行為ではないのです。失敗には大きな意味があります。価値があります。失敗をしなかったら、失敗をしたらどうなるかということは永遠にわからないのです。長い人生において、常に正解のみを選び続けることのできる人がいるでしょうか。
1年前、現在の高校2年生の高校入学の祈りの時、宮内神父様が「じゃんじゃん失敗をしなさい」と仰ったことが今でも心に残っています。宮内神父様は、「じゃんじゃん失敗をしなさい。そして、失敗から逃げないで下さい。誠実に向き合い、失敗をしたことによって迷惑をかけてしまった人には、素直に謝れる人になってください」と仰って下さいました。
今自分ができること、これも大事なことですが、自分が今できることに満足してしまっていてはそれ以上の成長はありません。失敗は、今、自分ができないことを教えてくれます。失敗してしまったことを足掛かりにすれば、さらなる高みへと自分を押し上げることができるはずです。短い時間軸の中でみれば失敗だと感じることであっても、人生という長い時間軸の中で見れば、失敗も成功の一部なのです。
今、みなさんは不二聖心という学校の中で、多くの人たちに見守られながら成長を続けています。自分の失敗を、失敗と教えてくれる人がいるこの時期にこそ、たくさんの失敗をしてもらいたいと思います。そして、その失敗を決して無駄にすることなく、自分自身の成長の糧としてください。反省を伴わない失敗ほど価値がないものはありません。何も考えず、同じような過ちを幾度も繰り返すことに意味はありません。本気の失敗にだけ、価値があるのです。
今年の学校目標は、「実行力を養う~フロンティア・スピリット~」ですね。新しい地平を開拓するとき、失敗はあって当然のものです。失敗をするからこそ、失敗を活かして次のステップへと進むことが出来ます。皆さんの大いなる失敗と、そこからの飛躍に期待します。
これで、宗教朝礼を終わります。
S.N.(社会科・地歴公民科)