シスター・先生から(宗教朝礼)
2013.11.27
2013年11月27日放送の宗教朝礼より
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
「あら いいわよ」「あなたのことお祈りしているわ」
どこかから、そんな言葉が今でも聞こえてきそうな気がします。
お団子ヘアで年齢を感じさせないしっかりとした足取り、不二聖心で十数年、寄宿舎や図書館でお手伝くださっていたシスターがいらっしゃいました。
今から10年前の春、私が初めてお目にかかった頃のシスターは82歳でした。流暢な英語を話されるお姿に、とても衝撃を受けたことを今でも覚えています。働き始めたばかりで不安でいっぱいだった私を、優しく導いてくださったのがシスターマグダレナソフィア糸川澄子でした。
とても暑かった今年の夏、7月30日にシスター糸川澄子は神様のもとに旅立たれました。他界された翌々日の8月1日、シスターにお目にかかるために東京まで伺うと、胸元に白いリボンを結ばれ、棺の中でたくさんのお花に包まれたシスターは、今にもお話くださりそうな微笑み顔で眠っていらっしゃいました。
シスターは、毎日午前中に1時間半と午後1時間、図書館の本にカバーをかけるお手伝いにいらしてくださっていました。少しでも本が長持ちしますように、みんなに手にとってもらえますように、と一冊一冊心を込めて、ビニールのブックカバーをかけ、本棚に並ぶ前の本にたくさんの愛情を注いでくださいました。今、図書館に並ぶ大半の本は、シスター糸川が愛情を注いでくださった本です。毎月新しく購入される150冊近くの本に、あっという間にカバーをかけてくださり、時には「この本お借りしていくわ」と新刊の中から数冊お持ちになりました。翌日には「あなた忙しいから本を読む時間もないわよね」と、前日お借りになった本のストーリーを私にお話くださり、「これは生徒にお勧めできるわ」とにっこり微笑んでいらっしゃった姿は、今でも忘れられません。とにかくよく本を読まれ、常に学ぶことに積極的でいらした勤勉なお姿には驚かされることばかりでした。図書館で英語の本を購入した時に分からないことがあると、パラパラっと英語の本をめくって「そうね、この本に書いてある事はね・・・」と教えてくださり、留学生の生徒が来ると、日本語の楽しさやすばらしさを熱心にご指導くださっていました。パソコンも使いこなされ、教会のお便りをお書きになったり、短歌や俳句を学ばれ、歌を詠まれてりもしていました。そんなシスターは私にとって常に刺激的な存在でした。
毎日の作業をしてくださる合間合間にシスターはたくさんお話もしてくださいました。ご自分がシスターになるまでのこと、ご家族のこと、小林聖心や東京聖心で勤務なさっていた時のこと、インドネシアに行かれた時のこと。特に印象的だったのは、小林聖心の小学校で勤務なさっていた頃、たくさんの動物を飼われていたというお話でした。アヒル、九官鳥、サル、「サルはいつも肩に乗せたりして一緒に歩いていたわ」とチャーミングににっこり微笑まれるシスターはとてもキラキラしていて、たくさんの子供たちと楽しく笑っていらっしゃるシスターのお姿が目の前に再現されるかのように、興味深いお話ばかりでした。シスター糸川が教育で大切にされてきたことを、そういったシスターのこれまでのエピソードから感じることができました。シスター糸川は、ご自身の経験や常にチャレンジし続ける姿勢から、私に多くの学ぶチャンスをくださいました。また、シスターは時にユーモアたっぷりに「私とあなたは59歳の年の差だけど、私はあなたのエンジェルさんになれるかしら?おばあさんだけど平気かしら?」孫くらいに年の離れている私を愛情いっぱいに包んでくださるシスターのお言葉は、心の中に数え切れないほど染み込んでいます。シスターが洗礼名を“マグダレナ・ソフィア”となさっていたことを、私は亡くなった後知りました。
シスターとのお別れの後、これまでの時間を何度となく振り返り、戻ってこない時間を何とか消化しようとしていた私は、不二聖心に来て最初に「初級編よ、読んでみるといいわ」といってシスターから手渡された一冊の本を読み返してみることにしました。その本は、創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラのことを子供たちにも分かるようにとシスターが自作なさった本です。あらためて読み返すと、10年前に気がつくことができなかった、シスター糸川の教育のすべてがそこにありました。マグダレナ・ソフィアの目指されたまさにその教育をシスターは、生涯かけてなさってきたのです。どんな人にもいつも笑顔で、シスターの心の扉はいつも大きく開かれていました。シスターは、時には私のエンジェルさんとして、時にはお仕事仲間として、時には家族のように、私の話に耳を傾け、一緒に笑ったり一緒に悲しんだりしてくださいました。どんなお願いでも「あらいいわよ~」とお返事くださり、どんなに辛いことがあってもシスターに「よいことが起こることをお祈りしているわ」と言っていただけると、それだけで自分が抱えている不安や心の葛藤が軽減することもしばしばでした。物惜しみしない心と、祈りを大切になさったシスターは日常の会話の中で、いつもマグダレナ・ソフィアや神様のことを少しずつ私の心にお伝えくださいました。仕事に根詰め過ぎる私に気がつくと、「今晩お布団お持ちしましょうか?ただし、あなたがここにお泊りになる場合には私も一緒よ」といたずらに笑ってお声かけくださるシスターの忠告からも、愛情に満ちたシスターのお人柄を感じることができます。シスターとのエピソードは私の中に数え切れないほど生きています。
「祈り」「愛」「謙遜」「勤勉」「忍耐」創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラを思わせるシスター糸川澄子が、生徒をはじめ聖心に関わる多くの人の為に注いでくださった愛情は、世代を超えて多くの人々に受け継がれていっていることと思います。そして、私自身も、その中の一人でありたい、今は強くそう感じています。
私たちは数え切れないくらいたくさんの人々に支えられて生きています。そして、シスター糸川のように、今は神様のもとから私たちを見守ってくださっている方もたくさんいらっしゃいます。あなたのまわりを見渡してみましょう。私たちは決して一人ではありませんし、必ずあなたの近くには理解してくださる方、見守ってくださる方がいるはずです。そのことに気がつくためには、あなた自身も正直に、そしてどこからでも見守っていただけるように、まっすぐに歩いていく必要があります。時には辛いこともありますが、「乗り越えられる分だけの試練を神様は私たちに与えてくださる」と言います。もし試練だと感じた時には、次へのチャンス、ステップだと思い、乗り越えられるようになると素敵ですね。あとひと月ほどで新しい年を迎える今、この一年を振り返りそう思っています。
これで宗教朝礼を終わります。
A.T.(図書館)