シスター・先生から(宗教朝礼)
2013.11.20
2013年11月20日放送の宗教朝礼より
おはようございます。
これから宗教朝礼を始めます。
昨年度の宗教朝礼で、私はある生徒の詩を通して、私が生まれる前に亡くなってしまった、会ったことのない祖母に触れるような思いを与えられたことについてお話させていただきました。今日は、そのときにお話できなかった、もう一人の祖母についてのお話をしたいと思います。
毎年、秋のつどいの展示の中で、私を子供時代の懐かしく温かい場所へと連れて行ってくれる場所があります。それは国語科の部屋の、短歌や俳句の展示場所です。そこはいつも、私の中に祖母との思い出を甦らせてくれます。
私の祖父母は愛媛県松山市出身です。今でも我が家のリビングの本棚は、漱石全集や子規全集、虚子全集など、祖父母のふるさとにつながる本たちが並び、松山は私たち家族のルーツであることを感じさせてくれます。祖母は若いころから俳句に親しみ、「ホトトギス」という俳句雑誌の同人となり、目の前に広がる情景、自分の思い、感動、そして祈りを、五七五の短い言葉の中に込めて、たくさんの俳句を作っていました。私に物心がつく頃にはすでに俳句はとても身近な存在で、面白半分で無理やり言葉を押し込めた五七五作文みたいなものを、たまに祖母に披露してみたり、「あの花の季語はなに?」「この俳句の季語はどれ?」など尋ねながら、祖母と一緒によく歳時記を開いていたものでした。みなさんが詠んだ俳句や短歌を見ると、そのリズムや、少ない言葉の中に広がる広い世界の中に、みなさんが成長していく様子、みずみずしい感性、感動が感じられると同時に、いつも温かく懐かしい何かが私の心の中に広がっていくのです。
祖母は体が悪く、寝込んでいることがほとんどでしたが、食事の支度と俳句のためには這ってでも、壁をつたい歩きしてでも起きてくる人でした。私が中高生のころ、週末に祖母の手をひき、母の運転する車で句会の場所までついていくこともよくありました。我が家で句会が催されることもありました。何の花だったか思い出せないのですが、水のなかに花を入れ、それを凍らせ、氷の中にきれいに赤い花びらを広げる花を眺めながら、いらしたみなさんと俳句を詠む、そんな光景が昨日のことのように思い出されます。
お買い物もままならなかった祖母は、よく私たち姉妹におつかいを頼むこともありました。銀行のキャッシュカードを渡され、「暗証番号は、カードケースに書いてあるからね。5757よ。」と毎回言われるたびに、カードを落としてしまったらどうしよう、どうしてこんなに大事なものに暗証番号まで書いてしまうのだろう、と緊張しながらおつかいに行ったものでした。亡くなってから気づきましたが、この5757の暗証番号も、俳句を愛する祖母が俳句の575になぞらえて考えた番号なのだと思います。
こどものころ、お正月には祖母と私たち姉妹とで、白いお餅と赤いお餅を作って、小さく丸めて、垂れる枝につけていく「餅花」を作り、家に飾りました。その餅花を詠んだ祖母の俳句のひとつに次のようなものがあります。
「餅花の映る鏡に身づくろひ」
たったこれだけの言葉で、和室の鏡台の前に座る祖母の姿がはっきりと思い出されます。
私が中学校に合格したときにも俳句を詠んでくれました。
「吉報のあり濃紅梅満開に」
私の家では毎年春に紅い梅がきれいに咲きますが、春にどこで紅い梅の花を見ても、祖母が喜びと共に詠んでくれたこの俳句が、今も懐かしく心に響きます。
祖母は、私が高校3年生の3月14日に亡くなりました。その時に、我が家に次々と送られてきたのも、友人たちが祖母の死を悼んで詠んでくださった俳句でした。横たわる祖母の周りに毎日少しずつ増えていく短冊の上に詠まれた俳句を、私は悲しみのうちに、毎晩紙の上に書きならべていきました。
囀りを虚空に聞けば君かとも
その人の足跡踏みて春惜しむ
あたたかきみ手をとりしも思ひ出に
この人を悼む心に椿落つ
春の日の出会ひ生涯忘れまじ
何故に彼岸へ急ぎ給ひしや
花咲くを待たつ独りの旅にたつ
黄泉までは梅の日和の続けかし
凛と咲きし白梅はたとくづれたり
33に及ぶ俳句はどれも、祖母の姿を深く私の中に残してくれるものとなりました。
日本の言葉は素晴らしいなと思います。本当に美しいと思います。その言葉のうちに、このように思いを乗せることのできる、日本人の持つ心も私たちの誇りであると思います。
さて、11月は死者の月、今週の金曜日には追悼ミサが行われます。神様のもとに、天国にいる人も私たちもつながっているのだということ、祈りを通して心を通わせあえるのだということを信じて過ごす11月、そして追悼ミサの時間となりますように。
これで、宗教朝礼を終わります。
Y.Y.(英語科)