シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.10.09

2013年10月9日放送の宗教朝礼より

前期も終わり、いよいよ後期が始まりました、皆さんも新たな気持ちで出発している事と思います。「新たな季節、新たな時を迎える」というのは、今まで自分たちが慣れ親しんだ所から離れて、全く別なところに進んで行く、そんな時、人は新たな気持ちになるという事です。

言い替えてみれば、先が見えない不安な状態の中で一歩踏み出そうとするような事です。

私たちは誰でも、居心地のいい住み慣れた環境に居続けたいという気持ちがありますが、同じような居心地のよい、ぬくぬくとした環境では成長はできません。勿論、同じような環境で守っていくという、大切なことも有るけれど、今まで経験したことが無い違った事に直面して初めて人は成長して行くのです。

自分を成長させてゆくのだ、という強い気持ちで新しい環境に飛び込んで行く勇気を持って頑張ってみてください。

 

皆さん、今から、一ヶ月前何があったでしょうか?  覚えていますか?

そうです、9月7日、東京が夏季オリンピックの開催都市として決まり、日本中が喜びに沸き上がりました。

2020年の夏季五輪開催を引き寄せた、東京招致団の、最終プレゼンテーションはまさに命運を分けた45分間だったといえます。身ぶり手ぶりを交えて、IOC委員のハートに訴える戦術が功を奏したのでしょう。  あの感動は忘れられない瞬間でしたね。

高円宮妃久子様が、東日本大震災の各国からの支援に対して、英語とフランス語で感謝の気持ちを述べられた後、現役アスリートなども登壇し、それぞれが、その人の特徴を生かしかつ個性的なスピーチをして一生懸命東京をアピールしました。

滝川クリステルさんが「おもてなし」の精神を、合掌のポーズで表現した仕草は実に好感が持てました。 

また、自らの障害や震災の被害を話した、佐藤真海(まみ)選手のスピーチも感動を呼び、IOC委員の人たちの心を捉えたのは間違い有りませんよね。 

 

7年後のオリンピックが本当に楽しみですね。

私は、1964年の東京オリンピックのことを今でも鮮明に覚えています、中3の時でした。男子100mのアメリカのボブ・ヘイズと言う選手の走りとパワーに魅了され、棒高跳びでは、アメリカのフレッド・ハンセンとドイツのラインハルトの9時間半にわたる激戦を演じ、

た高跳びの名勝負として語り継がれていますが、今でも強烈な印象として残っています。

私は、この東京オリンピックがきっかけとなり、この年に至るまで50年間の長い陸上競技人生を今も続けています。ですから私にとって、オリンピックは自分の人生そのものでもあり、生涯スポーツとして挑戦し続ける価値がある存在なのです。

 

小学校4、5年頃でしたか、道徳の授業で教えていただいた、オリンピックのエピソードで、1936年のベルリンオリンピック大会男子棒高跳の話が教科書にのっていました。

アメリカのメドウス選手が4メートル35を跳び、1位は確定していましたが2位、3位は日本人で 西田修平と大江季雄(すえお)選手が、順位決定戦の末1本目で西田と大江の2位、3位は確定した。しかし、西田は日も沈み薄暗い中で競い合うことは危険だし、日本人同士の順位争いだったため、2位を分け合うことを望み、打ち切りを提案したが聞き入れてもらえずこれを不服とした西田は、表彰式で大江を2位の台に上げ、自らは3位の台に立ち表彰を受けました。帰国後、銀メダルを持ち帰った大江の兄が間違いに気付き

西田の元にメダルを届けたが、悩んだ西田が、知人の経営する宝石店で銀・銅のメダルを半分にして分け、つなぎ合わせメダルを作り、お互いの健闘を祝福しあったという「友情のメダル」の話しを聞かされ、感動したことを覚えています。 

そんな私も大学生となり、伝説の人の大会、「西田修平記念・国際・室内棒高跳大会」で何度となく西田先生にはお会いすることがあり、気軽に声をかけていただいたことを、大変、光栄に思っていました。 

しかし、縁とは不思議なもので、私が小さい頃、感動した棒高跳びのエピソードで主人公の西田修平先生の曾孫を、この学院の現高3の生徒として、私が教える立場になるとは、思っても見ないことでした。不思議な縁ですね。

 

ところで皆さんは、前回オリンピックの聖火の灯火は、今何処にあるかご存知ですか?

今も燃え続けているのですよ。

今から49年前になりますが、あの時の聖火は、鹿児島市の郊外にある県立青少年研修センターに「希望の火」と名付けられ、船舶用ランプの中で今も燃え続けています。

何故、聖火が灯されているのか分かりますか?

それは、本州から離れた小さな島には聖火リレーが行われない為、当時の小学校の校長先生が 「島の子どもにも見せてやりたいと」聖火リレーをする人に懇願して、こっそりと分火してもらい、自宅で保存していたものを消さずに灯火し続けていたのです。以後、職員が週に一度、給油と掃除をしながら今日まで火を守ってきたそうです。

このセンターでは夏になると、訪れる多くの青少年に、キャンプファイヤーの点火の火種として、今でも使用しているそうです。

 今回のオリンピックも、聖火の灯が日本のどこかで大切に保管され、次世代の人たちに引き継ぐことになったら素晴らしいいいですね。

前回東京オリンピックの開催が決まったのは1959年です、日本の復興を世界に示そうと、東京―新大阪間を4時間で結び東海道新幹線をオリンピックに合わせて、1964年の101日に完成させたのです。まさに、高度経済成長の中で、日本が先進国に肩を並べるまでに発展してきたことを象徴するできごとでした。

 

しかし今は、自然災害や、放射能の脅威、日本経済の低迷が続き、日本社会の先が見えない暗い話ばかり続いています、そんな暗さを一掃する、明るい光となる東京オリンピックの開催が決定されました。また、2027年には東京―名古屋間を40分で開通するリニアーモーターカーの完成を目指しています。

皆さん、この流れは1964年の東京オリンピックと新幹線の開通により高度経済成長を果たした日本と、ぴったり一致し明るい未来が開けていると感じませんか。

 

先月の9月20日に22回生の卒業生から嬉しい電話が有りました。「先生お元気ですか、オリンピックが日本に決定されよかったですね、おめでとうございます。」と励まされ。そして「先生、東京オリンピックの誘致記念バッジが入手できるとしたら、記念に欲しいですか」、と尋ねられたので「手に入るなら欲しいね」、と言うと、「分かりました、私が用意します」といわれ、 次に、「先生、不二聖心の生徒さん一人ひとりも欲しいですかね?」と聞くから、無理を承知で「それは誰だって欲しいでしょう」、と答えると、「分かりました、明日送ります、不二聖心の全ての人に差し上げてください。」と返事が返り、その4日後には、何と500個以上のバッジが届きました。

多分、この卒業生は、初めからそのつもりで話を持ってきたのですね、母校の生徒に対しての思いやりですね。 今日、皆さんにその記念バッジをプレゼントしたいと思います。終礼時に担任の先生方から頂いてください。オリンピック誘致のバッジですから、なかなか手に入らないと思います。

その卒業生の、ご主人がスポーツドクターで今回の誘致メンバーに係っていて、そのご主人の提案からこのようなサプライズになりました。  有難く頂戴していておきましょう。        

 

神に感謝 これで宗教朝礼を終わります。

M.T.(保健体育科)