シスター・先生から(宗教朝礼)
2013.06.26
2013年6月26日放送の宗教朝礼より
これから宗教朝礼を始めます
6月はみこころの月。みこころとはイエス様のこころのことですが、イエス様のこころ、とはどのようなことを指すのでしょうか。
よく、その人のことばや行いはその人のこころのあり方を表す、といいます。今日は、そこからイエス様のこころを考えてみたいと思います。
皆さんの持っている聖書の「新約聖書」の中の「福音書」と呼ばれる四つの書物は、イエス様の弟子が記録した、イエス様のこと ばと行いが述べられています。弟子たちがいつ頃それを書いたのか、また誰に読んでもらうために書いたのかで、四つの福音書は表現やエピソードが異なる部分 もあります。しかしイエス様が大事になさっていたことは、四つの福音書に書かれているイエス様のことばや行いを通してひとつのものとして浮かび上がってく るように思います。それは「弱い人のためにもの惜しみしない」ということです。
福音書でイエス様と関わる人々の多くは、当時のイスラエルの社会の中で弱い立場にいた人です。例えばクリスマスの場面。イエ ス様の誕生を最初にお祝いしたのは羊飼いたちでした。羊飼いは当時最も貧しく過酷な職業の一つです。また、イエス様の直属の弟子の多くはガリラヤ地方の漁 師たちでした。ガリラヤ地方はイスラエルの中では田舎で、漁師だって決して豊かな収入を得られる職業ではありません。また、夫を亡くした女性、妻を亡くし た男性、あるいは目が見えない、足が動かない、病気である・・・このような人々とイエス様は直接語られ、その傷を癒されています。福音書には多くの奇跡の ことが述べられています。現実的に考えると「うそじゃないか」「ありえない」ということも多くあるのですが、私は本当に「治った」かではなく、奇跡を受け た人が「治った」「癒された」と感じたことが重要ではないかと考えます。ひょっとしたら実際に足が動くようになったわけではないかもしれない。でも、その 足が動かなかった人にとって、イエス様に声をかけていただき、話したことは、「足が動いて歩き回り、踊れるようになる」のと同じくらい、嬉しく自由に感じ ることだったのではないでしょうか。だから、その様子をみた弟子は「足の動かなかった人を癒された」と書き残したのではないかと思うのです。
先日の講演会で、石井光太さんは、マフィアに腕を切られたストリートチルドレンが、それでも「自分と遊んでくれるから」と いってその腕を切ったマフィアを慕うと話されていました。また、自分の親を自分の村の人々の前で殺すように指示され、殺してしまった子ども兵が、毎日人を 殺すことをさせられているのにゲリラから抜けないのは、「そこに居場所があるから」だと。腕を切られたことはものすごい痛みを伴うことだし、人を殺し続け ることは自分のこころを殺し続けることだと思いますが、それでも「遊んでくれる」「認めてくれる」ということは、彼らにとって「救い」なのだ、ということ を講演で学び、今までの「そのようなひどいことをするマフィアやゲリラ=悪い人」、「そのようなことをされた子ども=救い出さなければならないかわいそう な子」という常識を覆させられました。
差別されている人、社会の本当に底辺にいる人々と直接関わるのは勇気のいることだと思います。そのような人に声をかける自分 を、普通の人はどう見るのだろうか、また、彼らにそうやって関わることは傲慢で失礼なのではないだろうか。そんないいわけをしながら、多くの場合、見て見 ぬふり、あるいはちょっとは気にしながらも結果として無視してしまう。石井さんが話されたマフィアやゲリラの人々は、自分の利益になるから彼らを気にとめ る訳ですが、そうでなければなかなか自分から声をかけたり関わったりすることはできません。私達にはどこか、「惜しむ」気持ちがあるのだと思います。周囲 の評価を気にするプライドだったり、お金だったり・・・
しかし福音書で語られているイエス様は違います。穢れているとして見捨てられているらい病の人にふれる。罪を犯したとして 人々に石を投げられている女性に声をかけ、石を投げるのをやめさせる。ふれたり声をかける自分の方がひょっとしたら攻撃されたり差別されたりするかもしれ ない状況であるのに、そういった、自分が損をするかもしれないということを全く気にせず、ただ目の前の「弱い人」に手をさしのべる。この「もの惜しみしな い」ということがイエス様のこころではないでしょうか。
さて、ではこのように「もの惜しみしない」ことができるのは特別な存在であるイエス様だけなのでしょうか。私はそうは思いま せん。石井さんのお話にあったような、またはイエス様が出会われたようなとてもひどい状況の人々に関わることはないかもしれません。でも、見た目にはわか らなくても「弱い人」「大変な思いをしている人」はいるはずです。そのような人に気づき、イエス様の「みこころ」、つまり「もの惜しみなく」関わることを 意識して自分から関われるようになっていきましょう。そして来週7月4日は「みこころの祝日」です。この日は特にこのことを意識して一日を過ごしましょ う。
最後に、現代においてイエス様と同じことをなさったとして、お亡くなりになった後も世界に大きな影響を与えていらっしゃる、マザーテレサのことばを紹介します。
わたしたちは忙しすぎます。
ほほえみを交わすひまさえありません。
ほほえみ
ふれあいを
忘れた人がいます。
これはとても大きな貧困です。
多くの人は病んでいます。
自分がまったく愛されていない
関心をもってもらえない
いなくてもいい人間なのだと……。
H.N.(社会・地歴公民科)