シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.06.19

2013年6月19日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

みなさんの中には、今、何かに悩み苦しいなと感じている人、過去を振返ってみてあの時は苦しかったなと思う人、今までに思い当たる経験がない人もいるかもしれません。

私自身も今まで生きてきた中で、数は少ないですが、大きな悲しみに向き合ったり、自分の現状をつらく感じたり、つらいという感情からなかなか抜け出せなかった経験があります。

私が大学生の時に、あることで大きな壁にぶつかり、深く悩んだ時期がありました。自分の性格で引き起こしてしまったこと、自分が変わらなければいけないの に、自分が変われない苦しみでした。周りは何も変わっていないはずなのに、悩むほど自分と周りの距離が遠くなって自分が一人ぼっちになった気分で、本当に 闇の中を一人で歩いていると感じていました。

数日たって、ふと思いついた言葉がありました。「神様は(あなたが)こえられる試練を与える」という言葉でした。最初にこの言葉に出会ったのは、私が小 学生のころ、母から聞いたと記憶しています。聖書にもある言葉で、不二聖心の先生からも教えていただきましたが、自分の心のずっと奥にしまわれていた言葉 でした。

「神様は、その人がこえられる試練を与える」という言葉は、聖書のコリント人への第一の手紙に書かれている言葉です。「神は真実な方ですから、あなたがた を耐えられないほどの試練に会わせることはありません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」と書かれています。

当時、自分の抱えている問題はなかなか解決しないものでしたが、神様は「あなたなら、この試練を乗り越えるよ」を知っていて、お与えになっていると信じる こと、ここから抜け出す方法も用意されているはずと信じることは、一筋の光でした。問題の解決には時間がかかりましたが、かすかな希望をもって、時間はか かりましたが、乗り越えることができ、今では、苦しかったあの経験は私にとって意味を持っていた、あの時期があって今の自分があると感じています。

人は生きていく中で、喜びも悲しみとともに生きてきます。自分が大切にしてきたものが通用しないとき、大切にしていたものを失うとき、理不尽な出来事に出会うこと、それらは何か意味を持っているのだと思います。

最後に、私の好きな詩を分かち合いたいと思います。知っている人も多いと思います。マーガレット・F・パワーズの「あしあと」です。

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

  あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

  わたしと語り合ってくださると約束されました。

  それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

  ひとりのあしあとしかなかったのです。

  いちばんあなたを必要としたときに、

  あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

  わたしにはわかりません。」

 主は、ささやかれた。

 「わたしの大切な子よ。

  わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

  ましてや、苦しみや試みの時に。

  あしあとがひとつだったとき、

  わたしはあなたを背負って歩いていた。」 

英語科(T.H.)