シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.06.05

2013年6月5日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。 

今年も1月2日、3日はお正月の風物詩、箱根駅伝がありました。テレビで観戦した人も多いことでしょう。実際に応援に行った人 もいるかもしれません。幼いころから何気なく見ていた箱根駅伝ですが、いつの日かあの感動を味わうことはわたしにとって一年の良いスタートを切る1つの出 来事となっています。 

箱根駅伝は、関東学連加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と予選会を通過した大学9校に学連選抜を加えた合計20チームが出場できます。読売新聞東京本社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間、復路5区間の合計10区間(距離にして217.9Km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走です。 

今年は日本体育大学が30年ぶり10回目の総合優勝を果たしました。毎年、色々なドラマがある箱根駅伝ですが、実は今年の日体大優勝の陰にも多くの苦悩と努力がありました。 

日体大は昨年の箱根駅伝で大きな屈辱を味わいました。それまで64年連続64回目の出場、合計9度の優勝経験を持つ伝統校でした。ところが、昨年の箱根駅伝では、復路8区で1位であった東洋大と20分差がついてしまい8区の選手の到着を待たずに9区の選手がスタートを余儀なくされました。伝統のタスキが途切れた瞬間、いわゆる「繰り上げスタート」です。通常だと前の走者から次 の走者には大学自前のタスキが渡されますが、この繰り上げスタートではタスキは渡らず、大会側が用意したタスキを付けて走ることになります。選手をつない できた仲間の汗がにじんだタスキだからこそ、次の選手の大きな励みとなり頑張ることができるものです。このタスキをつなぐことができない繰り上げスタートは,とても辛いことであり、応援している私たちにも信じられない出来事でした。その後も巻き返しはできず、結果、史上最低の19位と惨敗。次年度のシードを逃すことにもなりました。伝統校であるがゆえに、周囲の期待も大きく、なぜスポーツ・体育を専門的に学んでいるのにここまで落ちてしまったのか、そんな疑問や胸が痛む言葉が選手や関係者をつきさしました。自分たちを責めることはもちろん、周囲からの風当たりはとても強かったことと思います。63年繋いできたタスキが途切れた年。それが昨年の日体大の箱根駅伝でした。 

どうしたら強くなれるか、また這い上がることができるのか…技術面やトレーニングの強化は誰もが考えることでしょう。それに加え、生活の乱れが競技に現れると考えた監督は選手の生活面の見直しを行ったのです。

約束事はきちんと守ること。校則や社会のルールも同様です。また、寮では、今 まで守れなかったことも多かった21時30分の点呼、22時の消灯を厳守すること。十分に練習出来る環境に感謝をすることの表れとして練習前や後のグラウ ンドへの挨拶や草むしり、その他、掃除をしっかりすることなど、どれも当たり前で基本的なことです。このような、一見、走るということに関係ない習慣の徹 底をすることで、チームの雰囲気が変わり、自然と走りにも安定感が生まれたそうです。 

また、寮の食堂にはタスキが飾られていました。8区で途切れたタスキと繰り上げスタートで使ったタスキです。悔しさを忘れないようにと、自分たちへの戒めとしたようです。屈辱的な敗北を糧に,技術的なことだけではなく,自らを謙虚に見つめ,基本的な生活態度を見直したことは昨年のチームとの大きな変化であったと言えるでしょう。 

1年間そんな努力と練習を重ねて迎えた当日。今年は周囲の期待からも外れ、優 勝候補に日体大の名前すら上がりませんでした。選手たちにはプレッシャーとともに見返してやるという気持ちが強かったと思います。往路は練習通りの自分た ちの走りを見せました。復路である3日、私は、ゴールである大手町に足を運び声援を送りました。多くの歓声に囲まれゴール前に現れたのは日体大です。アン カーの選手は、自信に満ち、堂々と右手をあげ、優勝のゴールテープを切りました。チームの絆・一体感を強く感じた瞬間でした。驚いたことは、自分たちで喜 びを分かち合う前に、選手全員が整列し、コースに深々と一礼したことです。1年間で培った感謝の心が伝わってきました。この姿を見て、これが本当のスポー ツマン、本当の勝者だと私は確信しました。今年の日体大は屈辱をバネに変え、どん底から這い上がったのです。 

“当たり前のことをきちんとやること”簡単そうで難しいことだと思います。日常生活の中で、頭ではわかっていてもつい、適当になってしまうことは誰もが経験したことがあるでしょう。

自分を見つめなおして正直に生きることは、知性を磨くことにも、人間性を養うことにも関わってくると思います。それは、誰のためでもなく、全て、自分のためなのです。

勉強だけ出来ていればいいのか?と言われるとそうではないと、私はハッキリ答えます。それプラス基本的なことをしっかりやってこそ真の人間であって、本当の知性なのではないでしょうか。

また、こういった当たり前なことを当たり前にすることは、自分の能力を最大限に発揮することの手助けに繋がってくるかもしれません。

基本の一つひとつを丁寧に、心をこめて行うことで人としての安定感が生まれ、自然と知性も磨かれていくことでしょう。そして、みなさんが不二を卒業し、社会人になった時、きっとこの基本的な習慣はどこかで役にたつことがあると思います。

このことを胸にとめ、間近に控えている試験を精一杯取り組んでくれることを期待しています。 

これで宗教朝礼を終わります。

保健体育科(Y.O)