シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.05.15

2013年5月15日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

私の趣味は、山登 りです。よく色々な方から「何故山に登るのですか?」「山登りの楽しさって何ですか?」と聞かれます。しばしば聞かれる質問ですが、いつも答えに窮してし まいます。高校時代から山登りを始めて、10年近くになりますが、未だにうまく言葉にすることができません。エベレストに挑戦したジョージ・マロリーが、 「なぜ、あなたはエベレストを目指すのですか」と問われ、「そこに山があるからだ」と答えたことは有名ですが、私はマロリーがそのように答えたくなる気持 ちがよくわかります。

今でこそ山が大好 きな私ですが、実は、高校時代に山を登り始めた時にはあまり山登りが好きではありませんでした。むしろ、山に行きたくありませんでした。少しばかりの興味 と、先輩たちの雰囲気の良さから山岳部に入部したものの、重い荷物を背負い、ひたすら歩く登山は、私にとってただただつらいものでしかありませんでした。 転ばないように足元を見ながら、時が経つのを待つばかりで、周りの景色を見る余裕もありませんでした。山に向かうために顧問の先生の車に乗ったその瞬間か ら、私は下山することばかりを考えていました。

山に対する気持ち が変化したのは、高校2年生の時、クリスマスに登りに行った山がきっかけでした。長野県と山梨県にまたがって、八ヶ岳という山塊があります。この時は、 八ヶ岳の中にある硫黄岳という山に登ろうとしていました。その年のクリスマスは非常に寒く、その日の朝も出発時には-20度を下回っていました。歩きだし はまだ暗く、月明かりに照らされた雪景色が広がっています。低温で凍った空気中の水分がヘッドランプに照らされてキラキラと輝き、澄んだ空気の先には満点 の星空が広がっていました。辺りは無音で、私たちが呼吸をする音と、雪を踏みしめる音だけがいやに大きく聞こえます。私たちのパーティ以外の全てが凍りつ き、まるで時が止まっているかのような不思議な白銀の世界を歩き続けました。そんな幻想的な空間を歩いている時、ふと、自分がとても至福な気持ちでいるこ とに気づきました。気分が高ぶっているわけではありません。ゆっくりと歩いていたので心臓が高鳴っているわけでもありません。それは、静かで、穏やかな幸 福でした。「山って良いなぁ」「このままいつまでも歩き続けていたいなぁ」と噛みしめるように一歩一歩を送り出していました。

私が山にどっぷりと浸かり始めたのは、この山行がきっかけだったと思います。

 考えてみれば不思議なことです。せっかく山岳部に入ったのに、最初の1~2年は楽しんで登るどころか、いやいやながらに登 り、苦痛ばかり感じていたのです。でも、今振り返ってみれば、この時に山岳部を辞めてしまわなくて本当に良かったと思います。この時期を乗り越えなかった ら、山の楽しさはわからず、その後も山を続けることはなく、今の私はなかったでしょう。

 これらのことを通じて、私は2つの大事な教訓を学べたように思えます。1つ目は、動き出すことの大切さです。自分が「これ は!」と感じる直感を信じて、何か新しいことを始めてみる。新しい扉を、叩いてみる。最初の一歩を踏み出してみる。立ち止まっている状態からの最初の一歩 はとても重いものですが、二歩目、三歩目は自分が思っている以上に踏み出しやすいものです。

 2つ目は、それを継続することの大切さです。山岳部に入って、その面白さに気づくまで、随分と時間がかかりました。そして、今もまだ気づいていない面白さが山の中にはあり、それはこれからも山を登り続けなければ出会えない面白さだと私は信じています。

これは、他のこと でも同じだろうと思います。物事によっては、最初から「面白い」と感じることがあるかもしれません。でもそれは、おそらくとても表面的な「面白い」だと思 います。もっと深く、どっぷりとその物事に浸からなければ見えてこないものが、きっとあるはずです。重い最初の一歩を踏み出せたのです。二歩目、三歩目、 そして歩き続けることもきっとできるはずです。

 不二聖心の生徒の皆さん。不二の6年間を過ごしていく中で、皆さんには自分の力を試せる様々なチャンスが待っています。必ず しもそれらのチャンス全てに挑戦する必要はないと思いますが、常に自分のアンテナを張っておき、自分が「これは!」と直感を感じた時には、迷うことなく一 歩を踏み出してほしいと思います。そして、その歩みは、2、3歩で止めてしまうのではなく、いつまでも足を前に出し続けて欲しいと思います。

 この不二の6年間で、そしてさらにその先の未来で、実りある経験を重ね、深めていってください。

これで、宗教朝礼を終わります。

S.N.(社会科)