シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.04.17

2013年4月17日放送の宗教朝礼より

 皆さんは、最近、大切な人に手紙を書きましたか?

私は昨年の暮れ、実家のある北海道に帰った時に、ある友人から手紙の代筆を頼まれました。彼女は重い病気で先が長くなく、家族や友人に伝えておきたいことが沢山あるけれど、体が思うように動かないから、自分の代わりに書いて欲しいとのことでした。

は じめは、もうすぐ彼女がいなくなってしまう現実を受け入れたくなくて、彼女に生きる希望を持って欲しくて、なかなか「うん」と答えることはできませんでし た。しかし、「あなたにしかこんなことは頼めないし、いつかその時はやってくるのだから、逃げすに向き合いたい、後悔したくない。」という彼女の言葉に、 手紙を代わりに書くことを決心しました。

手 が震えて、涙がこぼれて、どんなに頑張っても美しい文字で書き上げることはできませんでしたが、彼女の口から紡がれる言葉を一つも取りこぼさないように、 一文字一文字、丁寧に書き留めました。全て書き終えた時の彼女の安心したような笑顔は今でも忘れることはありません。彼女と会えたのはそれが最後となりま した。

今 年の一月に彼女が亡くなったとの連絡を受け、預かっていた十数通の手紙を全て送りましたが、送ったその全員から私宛てに返信が来ました。「ありがとう」 「嬉しかった」そんな言葉を目にする度に、とても辛かったけれど、彼女の代わりに手紙を書いて良かったな、と思うことができました。

春休みに再び実家に帰った時に、彼女のお母様から一通の手紙を受け取りました。亡くなる少し前に、私に直接渡して欲しいと託されたものだそうです。

中 には、私との出会いや、一緒に楽しく遊んだ思い出、悪戯をして先生に怒られたこと、それまで忘れてしまっていたような些細なケンカのことまで、計八枚にわ たって事細かに綴られていました。私宛ての手紙は、最後まで自分の力で書き上げるのだと、病気の苦しみと闘いながら、少しずつ、書き上げたものだそうで す。彼女と最後に会った時、わざわざ「レターセットはそのまま置いていってほしい」と彼女が頼んできた理由がその時になってようやく理解できました。こん なに弱々しい文字で書かれた手紙はそれまで貰ったことはありませんでした。しかしこれまで私が受け取ったどの手紙よりも、温かさと、想いの強さが伝わって くるものでした。

私が幼いころは、携 帯電話はありませんでしたし、パソコンもそれほど普及しておらず、メールを送ったことがある人は、周りに一人もいませんでした。現在は便利な連絡手段とし て、メールを多用しますし、文章の修正や加筆も手軽にすることができます。しかし、そのメールの便利さと気軽さがあるからこそ、メッセージに重みがなく なってしまったような気がします。「メールは温かみに欠ける」言われることがある理由はそこなのではないでしょうか。手軽すぎて、軽くなりすぎたのです。

手紙を書くことは、 便箋や封筒選びから始まって、伝えたいことを考えたり、時には下書きしたりして、その後にようやく便箋に書き出すわけですから、実際に書くとなると、なか なか時間がかりますが、その間、ずっと相手のことを想いながら書くので、文字に気持ちもこもります。手紙の内容で一番大切なものは「温かみ」です。手書き の手紙は時間がかかりますが、温かさのこもったメッセージを伝えやすくなり、手書きに頼ることで、本来の温かさが戻るような気がします。

家に帰れば家族が待っていること、約束をしなくても学校に行けば友達に会えること、それは日常ではありますが、当たり前のことではありません。

何だか気恥ずかしくてなかなか伝えられない想い、機会に恵まれずに伝えられなかった想い、そんな想いを手紙に認めて、家族や友人など、皆さんの大切な人に送ってみては如何でしょうか。

きっと、その想いの温もりはそのままに相手に伝わるでしょう。

A.S.(寄宿舎)