シスター・先生から(宗教朝礼)
2012.11.21
2012年11月21日放送の宗教朝礼
おはようございます。宗教朝礼をはじめます。
今日はまずこの曲をみなさんに聞いていただきたいと思います。
♪・・・
この曲は、ケツメイシの「出会いのかけら」という歌です。
巡り合いの中で生きてく・・・この歌詞からはじまるこの歌は、この後このような内容で続きます。
人との出会いや別れの中には喜びや悲しみや裏切りがあり、様々な気持ちを経験する。けれど負の感情に囚われていると“出会いのかけら”に気づくこともできない。その負の感情を貴重な経験と思えたら、きっと新しい出会いを掴めるはず。多くの人とつながり“出会いのかけ ら”を育んでいけば可能性はひらける。時には落ち込むこともある、けれどもそれを乗越えた時に新たな出会いがやってくる。必ず糸口は見つかる、出会いは未 来へとつながっていく・・・
「一期一会」という言葉があります。
お茶会は毎回ただ一回限りのものと思って、心をこめて行いなさいという茶道の心得からきた言葉です。そして一期一会は、一生でただ一度の出会い、その人との出会いはもう二度とないかもしれないから、人との出会いは大切にしなさいという意味でもあります。
毎日の中で出会いや別れは繰り返されますが、いったい私は今まで何人の人と出会い、別れ てきたのかとふと考えました。道ですれ違う人、学校や職場で出会う人、親しく言葉を交わす人、友人、親友、親族、家族・・・数字にすることは難しいです が、誰もが数え切れないくらいの人と出会っていることは確かです。
私は自分がこれまで出会いに恵まれてきたと思っています。その出会いにより様々な価値観 に揉まれ、自分の世界も広がったような気がしています。きっと中学や高校の頃にも大切な出会いはあったのだと思いますが、それ以上に大学時代の出会いが印 象的でした。今思うと中高生の頃の私はまだ幼く、自分の“出会いのかけら”を上手に見つけることができないでいたように思います。
私は不二聖心への就職を機に裾野に住み始めました。始めは不安や戸惑い が多く、悲しくて毎日のように母に電話をしていました。しかし、新しく裾野で住んだ場所は、実家と本当によく似た環境でした。玄関のドアのぶに「お仕事お 疲れ様」というメモのつきの野菜がかけてあったり、仕事を終えて疲れて帰れば、私の帰宅に気が付いたおばあさんが窓から「おかえり~」と言ってくれまし た。一人暮らしの身には、朝晩、日常の挨拶を交わす関係がそこにあるだけで何だか気持ちが和んだものです。学生の頃とはまた違った出会いの中、自分が支え られていることを実感することで、この出会いを大切にしたい、心からそう思う事が増えました。いろいろな出会いを経験して年を経て、私も少しずつ“出会い のかけら”を見つけられるようになってきていると良いなぁと思っています。
出会いとは背中合わせで別れもやってきます。卒業、引っ越し、永遠の別れ・・・出会いと同じく別れもさまざまです。
私には、後悔している別れがあります。それは、高校3年生の夏、大好きだった祖父が急に 亡くなった時のことです。めずらしく風邪をこじらせ寝込んでいた祖父。ある晩その看病をしていた祖母に私が無理なお願いをしました。翌朝祖父に、「おじい ちゃん大丈夫?」と聞いても、何だかもごもごとしていて、言葉らしい言葉が返ってきませんでした。変だと思いつつも、私は塾に出かけました。その後すぐ、 母が祖父を病院へ連れて行きました。病院への車内で祖父は言葉を上手に発することができなくなり、着く頃には自分の名前が言えず、更に救急車で大きな病院 へ搬送されました。私が駆け付けた時、暴れるからとベッドに両手両足を縛られ、祖父はギラギラと動物のような目をしていて、普通ではありませんでした。祖 父は厳しく、もの静かな人でしたが、優しく温かな目をした私の憧れの人でした。昨日まで普通に話せていた祖父が、急に暴れる動物のようになっている姿に ショックを受けた私はその後、病院で大泣きしたそうですが、そこからの自分の記憶はありません。
あまりにも取り乱した私の姿を見た両親は、しばらく病院には行かずに家に居るように私を 説得しました。私自身、祖父の変わり果てた姿を診る自信もなく、言われるままに家で過ごしました。そして、数日後に祖父は息を引き取りました。祖父が急変 した前日、祖母に用事を頼んだ自分を悔やみました。祖母がもっと祖父と一緒にいれば何か変化に気がついたかもしれない・・・この後悔は私の中にずっとあり ましたが、家族にこの気持ちを打ち明けることは出来ませんでした。この時から、私は取り返しのつかない別れは、もう一生したくないと強く思っています。そ して、別れと同様に、出会いでも後悔はしたくないものです。祖父との別れの経験が、私の出会いとの向き合い方も変えてくれたように思います。
今、私たちの近くにある“出会いのかけら”は、これから、自分自身と周りにいる人たちをどのように繋げていくでしょうか。そして、自分は“出会いのかけら”になれるように、どんな毎日を送っているのでしょうか?
自分を振り返り、自分の周りの人の事を改めて考えてみることで、自分に与えられている
“出会いのかけら”を見つけて、また違った視野で日々を過ごせるようになるかもしれません。
気が付けば2012年もあと1ヶ月と少しとなりました。少し早いですが、この1年の出会 いを思い出し、振り返りながら、自分自身の2012年を辿ってみてはどうでしょうか。そして、自分に与えられるだろう“出会いのかけら”とこれから来る 2013年という未来について少しずつ考えてみてはどうでしょうか?
これで宗教朝礼を終わります。
A.H.(図書館)