シスター・先生から(宗教朝礼)
2012.11.07
2012年11月7日放送の宗教朝礼より
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
今年も大 盛況のうちに秋のつどいが終わりました。展示作品、催し物、そしてひとりひとりの働き、どれも一生懸命、心がこめられていてすばらしく、私も楽しさや感動 とともに2日間を過ごさせていただきました。この2日間、学校を歩き回ると、こんなに忙しい毎日の中で、みんなは一体いつ、これだけのことをしているのだ ろう?と毎年のことながら驚くばかり。学校のいたるところにみなさんの知性や心、行動力があふれていることをあちらこちらで感じながら歩きました。
さて、秋のつどいの展示の中で、私は2人の祖母、つまり、父方の祖母と、母方の祖母に触れるような思いをしたことについて、今日はお話ししようと思ったのですが、限られた時間ですので、今日は1人の祖母についてだけお話しようと思います。
みなさん と同じように、私のなかには2人の祖父と2人の祖母、合わせて4人の血が流れています。4人のうち3人は、私の思い出の中に今も生き続けていますが、母方 の祖母の姿を私は知りません。母方の祖母は、母がまだ高校生だった時に、酔っぱらった男性が運転するトラックにひかれて亡くなりました。その事故のあと、 その男性は再びお酒を飲んで運転をし、再び人をひいてしまい、ついには自殺をしてしまったという悲しい話を幼いころに聞きました。私が知る祖母についての 他の話は、看護師であったということ、足が速くて母は追いかけられると必ずつかまってしまったこと、そのくらいのものです。“女は家で仕事をするもの” “嫁いだらあまり実家に帰ってくるものではない”という祖父の言葉を耳にしてきたためか、母は実家にあまり帰ることはなく、自分の生い立ちについてもあま り話さないので、私も、父方の話については色々なことを知っているのですが、母方の話についてはほとんど知りません。そのため、私には、母方の祖母はとて も遠い存在に感じられ、そういう人がいた、という、歴史上の人物に似た感覚を持ち続けていました。その祖母について、ほんの数度しか話を聞いたことがな かったのですが、私が高校生のころに母が口にした言葉にはっとしたことがあります。「今日はお母さんの命日だわ。1日もお母さんのことを忘れたことがな い。」と。たったそれだけの言葉でした。あまり聞くことのなかった祖母の話を突然耳にして、驚いたと同時に、すでに父方のおじいちゃんっ子、おばあちゃ んっ子として育っていた私は、申し訳なさのような気持ちでいっぱいになり、その言葉がなんとも苦しく感じられ、ただ黙り込んでしまったことを思い出しま す。
先日の秋のつどいで、私にとって遠く感じられていた、そんな祖母に触れるような思いを、ある生徒の詩が私にさせてくれました。
わたしが会えるはずだった
あなたは
母にとってはよい父で
私にとってはよい祖父だったでしょう
あなたの話を母に聞くと
私は無性に
私が会えるはずだった
あなたに会いたくなり
もう一人の祖父に会いたくなります
そして私の大切な人に会いたくなります
それほど私はあなたに
会って話してみたかった
祖母の家であなたの写真を見るたび
心の中で会いたかったと願います
私が会えるはずだった
あなたは
母にとってはよい父で
私にとってはよい祖父だったでしょう
この詩を 読み、私の目は熱いものでいっぱいになりました。私が会えるはずだった祖母。私は毎日のお祈りの中で、3人の祖父母を思い、お祈りすることはありますが、 恥ずかしながら、この祖母を思い、祈ったことがなく、秋のつどいのあと、初めてこの祖母を思いながら祈りました。祈りを通して、天国にいる会ったことのな い祖母に心が近づけたような思いがしました。この生徒の詩は、私に4分の1の命を与えてくれた祖母に感謝し、これからもお祈りを通してつながる時間を大切 にしたい、そう気づかせてくれる詩となったのでした。
11月 は死者の月。今週は追悼ミサも行われます。多くの人が経験するように、私自身もこれまでに身近な人、大切な人を亡くす悲しみに接したことがあり、先日も病 院で友人の最期を看取りました。自分自身も含め、身近な方を亡くされた経験をしている人、最近身近な方を亡くした人ひとりひとりにとって、深い悲しみだけ でなく、神様のもとに、天国にいる人も私たちもつながっているのだということ、祈りを通して心を通わせあえるのだということを信じて過ごす11月、そして 追悼ミサの時間となりますようにと願っています。
これで宗教朝礼を終わります。
Y. Y(英語科)