シスター・先生から(宗教朝礼)
2012.10.31
2012年10月31日放送の宗教朝礼
これから宗教朝礼を始めます。
今年の8月23日はたいへん暑い日でした。三島市では最高気温33.4度を記録しました。この日にNPO法人「土に還る木・森づくりの会」の会員の3名の方が、今年度から高校1年生が総合学習で植樹を始めた不二聖心の「共生の森」の整備をしてくださいました。
数十分も作業を続ければ気分が悪くなりそうな炎天下に、3人の方は 「共生の森」の草をひたすら刈り続けてくださいました。「せめて昼食の時ぐらいはパーラーでお休みください」とお願いしても、返ってくる言葉は「木陰があ りますから」という一言でした。こちらが「暑い中、申し訳ありません。ありがとうございます。」と恐縮する思いを伝えても、「せっかくのいい環境ですか ら、ちゃんと整備して教育に生かすといいですよ。」とおっしゃるだけでした。
不二聖心の生徒が良い環境で学べるようにという一心で炎天下の草刈り を続けてくださる姿に感謝の思いがあふれました。世の中には「情けは人のためならず」とか「ギブ・アンド・テイク」という言葉があり、お互い様というよう な思いからなされる良い行いがあります。しかし、それとは別に見返りを期待しない、一方的な善行というものもあり、自分のことよりも先ず相手のことを考え るということが自然にできる人達がいます。
平成8年に僕は高校3年生の担任をしました。秋の終わりにクラスのMさんが体調を崩しました。療養中に菌が脳に入って髄膜炎となり、入院の長期化が予想されていましたが、12月6日に容態が急変したという知らせを受け、校長のシスターと一緒に沼津の 病院に向かいました。Mさんを見舞って状態のただならぬことを悟りましたが、自分には祈るより他になすすべもなく、一度御殿場の自宅に戻りました。眠りに 就いて間もなく、真夜中の3時過ぎに電話がなりました。Mさんが亡くなったことを知らせる電話でした。すぐに沼津の病院に戻り、駐車場に車を止めて病棟へ と急ぎました。真っ暗な中に病院の入り口の明かりが真夜中に似つかわしくない光を放っていました。入口にはMさんのお父様が待っていてくださいました。僕 の顔を見るなり、お父様がおっしゃったことは、「今日は聖心女子大学の推薦の面接の日です。生徒さんが動揺するといけませんから、娘の死について知らせる のは面接が終わってからにしてください。」という言葉でした。
Mさんが亡くなってから、生前のMさんについて初めて知ることがたく さんありました。その中に6月の「みこころの祝日」の日のエピソードがありました。当時から「みこころの祝日」には高校3年生がすべてのクラスの飾りつけ を担当するということをしていました。Mさんは、高1梅組のクラスの飾りつけを担当したのですが、前日の飾りつけにまだ物足りなさを感じていたMさんは、 当日の朝に誰にも知らせずに早く来て、たった一人でクラスの飾りつけをしたそうです。これは一部の友人しか知らなかったエピソードでした。もちん高1梅組 の生徒がそれに気づくはずはなく、Mさんは誰からも感謝されることはありませんでした。
Mさんだけではありません。不二聖心の生徒は、見る人を驚かせるような善行をごく自然にしてしまうことがよくあります。
今から20年以上前のことです。不二聖心に翌年から勤務することが決まっていた僕 は秋のつどいの見学に一人で不二聖心を訪れました。生き生きとした生徒の姿と落ち着いた学園祭の雰囲気に心地よい感動を覚えながら一日を過ごしましたが、 一つ困ったのは校舎内を歩くのが初めての僕にとって、不二聖心の校内の地理がわかりにくいということでした。特に困ったのは中学校校舎から高校校舎に行く 時でした。当時はまだ特別第3教室もなく、中学3年生の松組の教室の前で迷ってしまった僕は、近くにいた中学生に「高校の校舎に行くにはどうしたらいいで すか」と尋ねました。すると尋ねられた生徒は、すぐに「ついてきてください。」と僕にいい、中2梅組の前の階段を降り始めました。階段を下りて職員室の前 を通り、今の保健室、当時の印刷室の横の階段を上がって高校1年生の教室まで案内してくれました。「ここが高校生の教室です」と一言言い残して、その生徒 はまた自分の教室へと戻っていきました。
充実した研究も、工夫の凝らされた発表も、豊かな自然も心に残りましたが、それ以上に僕にとってこの生徒の親切は心に残るものでした。不二聖心の生徒の印象は、この一事で定まったと言ってもいいと思います。
「共生の森」の整備をしてくださった3人の方はNPO法人に所属しています。NPOは「Nonprofit Organization」(特定非営利活動法人)の略称です。NPOの方々は営利を求めて活動 しているわけではないことが、その法人名からわかります。世の中には利益を超えた価値があります。利益や見返りを期待しない行動があります。NPOの方々 のいろいろな活動はそのことを私たちに教えてくれます。人間の美しさはさまざまですが、利益を超えた価値を求め、ただひたすら誰かのために行動できるとこ ろに人間の最も美しい部分があるのではないでしょうか。
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。」(マタイ5-46)という厳しい言葉が聖書にはあります。見返りの期待できない場面であっても、それが自分に求められていることがらであれば、喜んで誰かのために自分の力を尽くす。そのようなことができる人に、不二聖心の生徒にはなってほしいと心から願っています。
これで宗教朝礼を終わります。
H.M.(国語科・宗教科)