シスター・先生から(宗教朝礼)

2012.10.17

2012年10月17日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。挨拶をして静かに着席してください。

後期が始まって、一週間が経ちます。秋のつどいも近づき、中3の皆さんは卒業研究の提出を控え、それぞれが自分の課題や目標に真剣に向き合いながら忙しい毎日を送っていると思います。私自身も日々、色々なことに追われながら、一日、一日があっという間に過ぎていきます。

みなさんは、そのような毎日の中で、最近、周りの人の話をじっくり聴くことはできていますか?

クラスで今寂しい思いをしている人はいないでしょうか?困っている人の心に気付く、心のアンテナは、今、動いていますか? これらは私自身に対する問いかけでもあります。

先月から、中1の人たちと聖マグダレナ・ソフィア・バラの絵本を授業で一緒に読んでいますが、一年ぶりにこの本をじっくりと読みながら、あの有名な言葉が、私の目に入ってきました。

「マザーバラは、やらなければならない仕事が、たくさんありました。でも、どんなに忙しくても、

マザーバラの、へやのドアも、こころのドアもひらいていました・・・」

(絵本『聖マグダレナ・ソフィア・バラ』(児島なおみ著)より)

久しぶりに、この言葉に出会い、私の中では『へやのドアも、こころのドアもひらいていた』という一文が、いつも以上に心にひっかかりました。

さて、「こころのドアもひらいていた」とは何を意味するのでしょうか? マグダレナ・ソフィア・バラはどんな人の話にも、いつも分け隔 てなく真剣に耳を傾け、とくに困っている人の話しをよく聴かれたそうです。送られてくる沢山の手紙に対しても、一通一通丁寧に返事を書かれたそうです。今 から6年前、聖心の姉妹校の先生方と、ソフィア・バラゆかりの地を旅する「聖 心巡礼の旅」でイタリアの修道院を訪れたことがありますが、そこで、シスター方にソフィア・バラ直筆の膨大な量の手紙を見せていただきました。フランス語 で書かれた内容はよく分かりませんでしたが、一通、一通どれも丁寧な字で書かれており、その手紙の数に圧倒されました。絵本『聖マグダレナ・ソフィア・バ ラ』には「ゆうびん屋さんが、まい日、おもい手紙の束を届けにくるのです。一人でも多く返事を書きたいと、マザーバラの羽ペンは忙しく紙の上をはしりま す。その手紙にもあたたかい言葉を添えながら。」とありますが、まさにその通りだったのだと想像しました。

 どんなに忙しくても、自分のことはさておき、いつも周りの人のために 尽くすことを自分の喜びとされていた方、それが私たちの学校の創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラです。ただ表面的に、人の話に耳だけ傾けていたのではな く、目の前にいる相手の心に寄り添い、相手が何を伝えようとしたかったのか、心の深いところで受け止める方だったのではないでしょうか。ソフィア・バラの 「こころの窓はいつも開いていた」とは全ての人を分け隔てなく、丸ごと受け止めてくださる、まさに聖心のシンボルマークであるオープンハートそのものを指 しています。

 さて、聖心の学校で働かせていただいている自分にとってソフィア・バ ラのような生き方はなかなか近づくことのできない、理想です。ソフィア・バラのように「いつも心のとびらを開いている」ことは簡単なことではありません。 特に心に余裕のないとき、こころのとびらは閉まりがちです。みなさんの心のとびらはどうですか?

 どんな人に対しても「心の扉」を開いていたソフィア・バラの姿は、ま さにイエス・キリストの姿と重なります。「聖心」とはキリストの「みこころ」を意味し、ソフィア・バラはこのキリストの「みこころ」を大切にした生き方 を、教育の場で実践されました。イエス・キリストは、徴税人や罪人、病気の人など、当時社会の枠の中からは外されていた、最も弱い立場に置かれていた人た ちと共に歩まれました。一緒に食事をしたり、話をしたのです。律法学者やファリサイ派など正しく立派な生き方をしていた人たちからは、イエスの行動は「な ぜあのような罪びとたちと一緒にいるのか」と非難されましたが、イエスの心は決してぶれませんでした。イエスのあたたかい眼差しは孤独や絶望の淵にいた人 たちに注がれ、彼らにとって生きる希望の光となりました。それはまさに、何の条件もなしに人間を丸ごと受け止めてくださる神様の愛とつながります。

 自分の周りで寂しい思いをしている人や悩んでいる人の話を、心をこめ てじっくり聴こうすること、相手が誰であろうと困っているその人の気持ちに寄り添いたいと願いながら接することは、弱い立場の人とともに歩まれたイエス・ キリストの眼差しと重なるのではないでしょうか。 また、中には、近寄りたくない、苦手だなと感じる人もいるかもしれませんが、自分がもっとも苦手だと感 じている人のために自分は何ができるか、と考えられたとき、その瞬間、自分の心の中の「境界線」は取り払われ、オープンハートに近づくのだと思います。

 「こころを開いていること」それは、知らず知らずのうちに神様が私たちの心に訪れてくださることを意味すると信じています。

最後に、『こころにしみる聖書の言葉~大いなる父にいだかれて~』という本より、聖書のみ言葉と、そこに添えられた井澤雅子さんの文をご紹介します。

(ローマの信徒への手紙 1章20節~)

  世界が造られたときから、目に見えない神の性質、

つまり神の永遠の力と神聖は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。

     神様はどこにいるの?

     子供の頃 神父様に尋ねました

     すべてのものが 神様の影だよ

     そう答えてくださいました

     今日 出会う出来事の中に

     今日 出会う方を通して

     神様が見つかりますように

Y.S.(英語科・宗教科)