シスター・先生から(宗教朝礼)

2012.10.10

2012年10月10日放送の宗教朝礼より

 先日、愛知県の実家に気仙沼の養殖場から「牡蠣とホタテ」の詰め合わせが送られてきました。私は養殖場の復興支援1口オーナーをしています。この養殖場で震災後にボランティアをしたこともあり、ぜひ継続的に力になりたいと復興支援オーナーと いう形で支援を行っています。このたび、ようやく養殖場の施設などが元通りとなり、本格的に生産を開始できるようになってきたので、「牡蠣とホタテ」の セットが送られてきました。

 ぜひ、実家の父と母に食べてもらいたいと、「牡蠣とホタテ」セットの送り先は静岡県の自分の住所ではなく、愛知県の実家にしておきました。ただ、私の小さなプレゼントは父の手には届きませんでした。

2012年8月 12日の早朝、父は心筋梗塞で突然この世を去りました。享年は61歳でした。まだ、十分に親孝行といえることができていなかったのに…。父が仕事を辞め て、時間ができたら、父の好きな野球でも一緒に見に行ったり、一緒にお酒を飲んだり、いろいろなことをしたかった…。最後に生きている姿を見たのはお正月 に一緒に箱根に駅伝を見に行ったときとなってしまいました。

 通夜に先立ち、私は悔やむ気持ちが収まらず、何人かの知人にこの件をメールで伝えました。すると幼なじみの友人は「今こうし て学校の先生として働けていることが十分に親孝行だと思うよ」と返信をくれました。何かをプレゼントすることでなくても、親孝行はできるのだとふと気付か されました。

 また、大学時代の先輩は「人はいなくなり、その大切さに気付くものだよね。」と返信してくれました。たしかにそうなのであ る。当たり前のように生きていたときには、大切さというのになかなか気付けないのだが、今、こうなってみて心に穴が空いた気がする。きっと、この穴の大き さが父の大きさなのかもしれない。

いまの日本人の平 均寿命が80歳ほどになっているだけに、61歳での他界は早すぎるという気持ちでした。だけど、葬儀にきていただいたお坊様より次のようなことを言われま した。「人生はどれほど長く生きたかではなく、どれだけ充実して生きられたかです。きっとお父様は短かったかもしれませんが、充実した人生を送られたと思 います。」

たしかに父の生涯 は短かったかもしれないが、人生は充実していただろう。父は野球好きで職場の野球チームを離れた後は、近所の小学校の野球チームのコーチをしていました。 仕事の休みの日は朝から晩まで少年野球の指導をしていました。お通夜には今まで父が指導してきた子どもたちも駆けつけてくれました。下は小学生、上は大学 生まで、とても多くの子どもたちでした。きっと練習では口うるさく指導していたと思うが、こんなに多くの子どもが集まってくれるなんて、父は幸せ者だと感 じました。

 ただ、父の人生で悔いの残ることは2つあると思います。一つは弟の成人式をみることができなかったこと。もう一つは孫の顔を見ることができなかったことでしょう。

 人生は何が起きるかわかりません。だからこそ、日々を大切に生きていたいと強く感じました。そして、今、自分の周囲にいる 「大切」な人々がいるという幸せをかみしめていきたいです。父へ贈れなかった感謝というプレゼントは、いまこうして周りにいる人たちに少しずつだが渡すこ とができればいいと思います。

これで宗教朝礼を終わります。

K.K.(地歴・公民・社会科)