シスター・先生から(宗教朝礼)

2012.09.05

2012年9月5日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

皆 さんは、知りたい、学びたいという強い意志を持って授業に望んでいますか。知ること、学ぶことを楽しんでいますか。私は、この夏休み「あなたの受けたまた は受けさせた授業の中で、心に残っている授業はどんな授業ですか。」という問いを投げかけられました。心に残る授業とはどのような授業でしょうか。例え ば、初めて逆上がりが出来た体育の授業や、理科の実験ですごいと感動した授業など、人それぞれでしょう。心に残る授業とは、心の奥で深い感動を覚えている 授業なのではないでしょうか。今日は、私の心に残っている授業について、その授業から学んだこと、そして自分なりの解釈をお話ししたいと思います。

私は、この学校に来て初めて聖書に触れました。それまでは、聖書という名前は知っていましたが、聖書をめくる機会さえなかったのです。高校3年生の方は覚えていますか。あなたたちが中学1年生の時、私が一緒に宗教の授業を受けていたことを。この学校で働くことになり、学校のことをもっと知りたいと思い、当時校長先生であったシスター大山に頼んで中学1年生の宗教の授業を一緒に受ける機会を与えてもらいました。

私が参加した最初の授業は、ルカによる福音書の「種を蒔く人」のたとえの授業でした。皆さんご存知だと思いますが、ここでその聖書の箇所をもう一度読んでみたいと思います。

「種 を蒔く人が種まきに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水 気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て百倍の実を 結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。

という箇所です。恥ずかしいことですが、私は一度読んだだけではこの箇所を理解することができませんでした。全く意味が分からなかったのです。シスターは、一つひとつ丁寧にたとえの説明をして下さいました。

こ れが、私と聖書の出会いであり、一番心に残っている授業です。この授業で、私は聖書の魅力を教えていただき、聖書を読むこと、理解することを面白いと感じ ることができました。さらには、もっと深く知りたいと思うようになったのです。だから、今でも深く心に残っているのでしょう。

それでは、授業内容に戻りたいと思います。

ここに出てくる種とは神の御言葉です。ここでは言葉や話としたいと思います。土地とは自分自身の心です。同じ言葉でも、どの心に蒔かれたのかによって、実を結ぶことができるかが決まってきます。

私 は、道端をアスファルトとイメージしました。アスファルトは、種を受け入れることが全くできない土地です。そのため、根を張ることもできず、鳥に食べられ てしまいます。ということは、道端の心を持った人とは、言葉や話を聞いただけで終わってしまう人、または、言葉や話を聞いても関心が無いため何も心に残ら ない人を指しているのではないでしょうか。

石 地の土地では、芽が出ても水気がないのですぐに枯れてしまいます。ということは、石地の心を持った人とは、言葉や話を聞くと、すぐに受け入れ、しばらくは 信じます。しかし、長続きせず、試練に遭うとすぐに身を引いてしまう人、または、すぐに諦めてしまう人を指しているのではなのではないでしょうか。

茨 の中に落ちるとは、茨があるので土はあります。種は根を張って芽を出しますが、周りの茨も一緒に伸びるので、その茨にふさがれて種は最後まで成長すること ができず実を結ぶことができません。ということは、茨の中の心を持った人は、言葉や話を学び、それを受け入れますが、富みや快楽に覆いふさがれて、実が熟 するまでに至らない人を指しているのではないでしょうか。

そして、最後の良い土地とは、良く整えられ、良く耕された土地のことです。立派な良い心で言葉や話を聞き、それを受け入れ、悟る人のことを指しているのではないでしょうか。

ここで、最初に蒔かれた種はどれも同じ種です。どの種にも命があり、実を結ぶ能力は十分に備わっていたのだと思います。しかし、蒔かれた種は同じであっても、種を受け入れる土地の状態によって結果は驚くほど変わってくるのです。

私 は、この授業でこの聖書の箇所を勉強して、自分の話の聞き方を振り返りました。良い土地の状態で人の話を聞けたことがどのくらいあっただろうか。今の私の 心の中は、道端なのか、石地なのか、茨の中なのか。このシスター大山の宗教の授業で、聞いた言葉や話をしっかりと自分の心に受け入れるには、自分の心の状 態が深く関係しているということを学びました。同じ話を聞いても心の状態によって受け取り方が変わってくるのです。

また、私の心の中は、道端、石地、茨が混在しています。この3つの土地も同じ心の状態を指しているのではありません。道端に落ちた種は根を張ることもできません。石地に落ちた種は、少しだけ根を張ります。茨の中に落ちた種は、十分に根を張ることができても、地上の茨が実を結ぶことを阻止します。道端、石地のような私の心が、茨の中のように多少芽生える地に変えられ、そしてやがて良い土地に変わっていけたらいいなと思いました。

私の両親は、畑を耕し野菜を作っています。畑に種を蒔いた後は、よく成長するように、毎日水を蒔き、雑草を取り除いたりします。人の手を加えることによって、種は豊かな実を結ぶことができます。このように、種が実を結ぶためには心の畑をよく耕さなければならないとも思いました。

さ らに、この授業で私は今までの生活を変える言葉と出会いました。「聞く耳のある者は聞きなさい」という一言です。心の準備をしっかりとし、真剣に耳を傾け る人だけが言葉や話を自分の中で大きくさせる事ができます。私は、今までの自分を振り返り、耳を傾けるふりをしていたのではないかと恥じました。

中学、高校時代の授業を振り返ってもそうです。集中できずに余計なことを考えていたことも多かったと思います。このような心の状態では、本当の言葉は理解できません。じっと言葉に耳を傾け、分かるまでその言葉を考え続ける。人は耳で聞き、心で理解します。だから、どのような姿勢で話を聞くべきかが大事なのではないでしょうか。

もっ と若い時にこのような大事なことに気づきたかったと、当時のノートに記させていました。知識を積み重ねていくことは、とても楽しいことです。皆さん、今知 ること、学ぶことを楽しんでください。そして、もっと知りたいと思う気持ちを大事にしてください。知識は将来大きな財産になります。

今までの話の聞き方、授業の取り組み方、姿勢をもう一度見直して見ましょう。良い土地の状態で話を聞くこと、授業を受けることができていますか。豊かな心を育む時期は、中学、高校の今なのだと思います。

さらに、来週は祈りの会です。神父様、シスターのお話をどのような心で聞くことができるでしょうか。

実り多い祈りの会になることをお祈りしています。

これで宗教朝礼を終わります。

M.D.(数学科)