シスター・先生から(宗教朝礼)

2012.06.13

2012年6月13日放送の宗教朝礼より

 これから宗教朝礼を始めます。

テスト返却も一通り済み、4月からの過ごし方を振り返る機会を持っている人も多いことでしょう。このような時期だからこそ、次のような質問で宗教朝礼を始めたいと思います。

何かを成し遂げた時、その成功は、すべて、自分の努力の結果である。

または、逆に、何か失敗した時は、完全に自分の努力不足である。

○か×か…

そのように聞かれたら、○だ、と答える人はどれくらいいるでしょうか。もう一度聞きますので、心の中で手を挙げてください。

何かを成し遂げた時、その成功は、すべて、自分の努力の結果である。

または、逆に、何か失敗した時は、完全に自分の努力不足である。

○か×か…

中学、高校時代の私がこのように聞かれたら、迷うことなく、○と答えていたと思います。

成功するか否かは自分の努力にかかっている・・・もう少し極端にいえば、自分の努力さえあれば、必ず成功する、思い通りに行く。そして、うまくいかなければ、それはすべて自分の努力不足。至らないダメな私。

ダメな私ではいたくありませんでしたから、必死で毎日過ごしていたことを覚えています。毎日、重い荷物を背負っているようで、時にその重みに耐えかねると思うことすらありました。それでもなお、至らなさを脱出しようと、懸命でした。

しかし、その後迎えた大学生活。「すべて、自分の努力の結果である」そう固く信じ、行動 を積み重ねてきた私にとって、暗黒の時代がやってきます。頑張ろうと思っても体がうまく動いてくれない、そのような状態に直面したのです。それまで、頑張 ると決めたことでくじけたことはありませんでした。結果がどうであれ、頑張ることはできました。何をしても不器用で、利発さも、俊敏さもない私でしたが、 努力できることが私の唯一の長所だと思ってきたほどです。ですから、頑張ろうと思っても体がうまく動いてくれない、そのような状況に直面したことはまさに 私にとって危機でした。自分をこれまで支えてきた、自信を失うことになったからです。頑張ることができないのはいけないことだ、怠けていることだ、その言 葉ばかりが頭をめぐり続けますが、体が動かないのです。正確に言えば、体力がついていかないと言った方がよいでしょうか。ありがたいことに、どうしてもこ なさなければならない時はなんとか体調が持ち直し、大学に通うことができましたが、常に体調が不安定で、ほとんど起き上がれない時もありました。周囲がお しゃれをしたり、アルバイトやサークル活動を楽しそうにこなしながら生活しているのを横目に、私は、授業をとり、宿題をこなすことが精一杯でした。明日こ そ、来週こそ、来月こそ状態はよくなるはずだ…そう思いながら、結局、ほぼ大学4年間すべて、そのような不安定な中で過ごしました。最初は、楽しそうな友の姿を見るた び、「どうして」という気持ちが強かったのですが、そのうちに、とらえ方が変わってきました。これまでがんばることができたのは、まず、健康だったからで した。そして、学年の中でおそらく一番学院から近い家から通うことができたからでした。私の家はそもそも埼玉にあります。けれど、通学のしやすさを第一に 考えた両親の判断で、父が単身赴任をしてくれ、私は裾野から6年間通いました。努力が取り柄と思っていましたが、そもそも、努力することができる環境 を整えてもらっていたのでした。実は、「すべての結果は努力の結果」と考えていた私は、それを無意識のうちに他者にも当てはめていました。「結果が振るわ ないのは、その人の努力が足りないからだ、努力しようとしないからだ」けれど、自分が経験してみて初めて分かりました。健康な体をいただいていることがど んなにすばらしいことか、頑張ろうと思って、その思い通りに、頑張れることがいかにすばらしいことか…弱さを経験してみて初めてわかりました。私のこれま での眼差しはいかに冷たく、また、傲慢であったか。支えられていたことに気づかずに、自分ですべてしてきた気になっていたのでした。

そして、ここ不二聖心で学んだ、人間より大きな存在、神様の存在を初めて具体的に感じられたのもやはりこの経験を通してでした。転機となったのが、大学4年のある夜のことです。

よくは覚えていませんが、その夜も、頑張れない自分に直面し、「駄目だ」と負の連鎖に 陥っていた時のことです。不思議なことに、高校一年生の時の祈りの会のある一コマが情景と共にふと思い出されたのです。「あなたは愛されています、あなた はゆるされています」神父様がおっしゃったその声が突然よみがえりました。「ゆるされている」この言葉に、急に温かなもので包まれた感覚を覚えました。 「駄目だ」と評価し続けている私、この私でもいいのだろうか…半信半疑になりながらも、しかし、正直な心としては「救われた」そんな感覚でした。それ以 来、体調は徐々に回復し、就職してからは、おかげさまで、健康に毎日過ごしています。

今まで順調にいっていたこと、それ自体が恵みであり、奇跡ですらあったのかもしれない。「頑張ろうと思ってもがんばることができない…踏ん張れない…」そんな時期を経て初めて、努力することができることすらも、恵みなのでは?と思うようになりました。私にとっての暗黒の4年間。世間の価値基準から見れば、「華の女子大生」のはずが、面白味のまったくない4年間でした。けれど、私にとっては、とても大きなことを学ばせていただいた4年間でした。

今はまだ、支えていただくことばかりですが、神様のご助力を願いながら、私にできること、それをただひたすらに、ひたむきにさせていただこうと思います。

M.S.(英語科)