校長室から
2015.02.24
『桃園』巻頭言より(2015年2月24日)
2014(平成26)年は、不二農園創設百周年という記念すべき年でした。秋のつどいでの記念ミサと茶話会、アーカイブ・ウィング岩下コーナー開設、百周年記念ほうじ茶羊羹発売等を通して、農園の歴史を知る多くの方々や貴重な資料との出会いがありました。それは、「不二聖心女子学院の今」を新たに見つめ直すことにつながる貴重な経験であったと感謝しております。
農園創設者である岩下清周の三女であるマザー岩下亀代子は、日本人として初の聖心会修道女です。1945(昭和20)年、岩下家よりこの桃園の地が聖心会に寄贈された時、聖心会は農園と共に岩下家が創立した私立「温情舎」小学校も受け継ぐこととなりました。
温情舎の初代校長であるマザー亀代子の兄の岩下壮一神父様が、創立の年である1920(大正9)年3月に書かれた「温情舎」の「生徒心得」の中に、次のような箇所があります。
一、おまへは役に立つ人にならなくてはいけない
二、役に立つ人となるには次の二つを心掛けなくてはいけない。
知 何事もぼんやり見のがしてはならない。
氣をこめて。考へて。教はる事。
行 何事も力一ぱいやらなくてはいけない。(中略)
學んで。習って。行ふ事。(中略)
四、心を丈夫にするには誠實、克己、忍耐、勤勉の四つを行はなくてはいけない。
「六」に、「温情舎」は「おまへの楽園である」と書かれていますが、文字通り訪れる者をして「この平和郷に育つ子供は幸福である」(『中駿郷土讀本全』中駿校長会)と言わしめた学び舎でした。
長きに渡るヨーロッパ留学の経験もあった壮一により、自由で進取の気風に富んだ教育がなされていたという温情舎。現在よりさらに広大であった農園の自然と一体となった学舎。少人数教育の特性を生かし、詰め込みではなく自ら考えて悟るような教育実践は、日本を代表する神学者・哲学者であった壮一神父様の理想を具現化したものでした。カトリック学校ということを前面に出してはいませんでしたが、カトリックの人間観を土台とした教育であったことは疑う余地はありません。温情舎について書かれたものを読むにつけ、その中に不二聖心女子学院が大切にしている価値観や方向性と共通することが多いのに驚かさると共に、時代が変わっても色褪せない教育観に示唆を与えられます。
現在、「温情舎」という名前は「温情の会委員会」に受け継がれ、社会に貢献できる女性の育成を目ざす学院の核ともいえる存在となっています。聖マグダレナ・ソフィアによって創立された聖心女子学院と、岩下家によって創立された「温情舎」――、神様の計らいによって、この二つの流れは出会うべくして出会ったといえるのではないでしょうか。日本の聖心七校の中で、唯一、前身となる学校をもつ不二聖心女子学院ならではの豊かさを大切にしつつ、二つとない学院のビジョンを描いていきたいと思います。