卒業生の声
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私は不二聖心を卒業後、北里大学理学部物理学科に入学し、首席卒業後は東京大学大学院に進学、博士号を取得しました。博士号取得後は、東京工業大学、理化学研究所の研究員を経て、現在は文部科学省所管の統計数理研究所にて、物理学や数学に関する研究を行っています。 |
聖心女子大学文学部国際交流学科在学中 | ||
不二聖心では、国際交流の機会が多くあります。高校生の時、タイ体験学習に参加し、ホームステイやスラム街の幼稚園へ訪問、現地の学生と交流をした経験は、大学の学びでも生かされています。また、私は高校2年の春休みに「ESD国際交流プログラム」でドイツ・フランスへ2週間、ユネスコ本部などを訪問しました。このような経験は、今の学科に進もうと決めた大きな礎となっています。 姉妹校の聖心生とは、夏の体験学習やSOFISを通して関わり、大学でも良い関係を築くことができました。私は12歳から親元を離れ、友人たちと寄宿舎で過ごしました。このような伸び伸びと過ごすことができたのは、豊かな不二聖心の環境があったからだと思っております。 |
上智大学法学部卒業 | ||
私は外務省入省後,ポルトガル、ブラジルに計7年間赴任し,帰国後は経済協力やFTA交渉等に携わってきました。 最初に外国に目を向けるきっかけとなったのは,中学生の頃,皆でクッキーを焼いて販売し,ウガンダの姉妹校に支援をしたことでした。世界に147校もの姉妹校を有する不二聖心は,都会の喧噪から離れ,大自然に囲まれながら,外国にも目を向けることのできる恵まれた環境にあります。韓国やニューオーリンズ、フィリピン等での海外体験学習、留学生との交流,また外国で貧困や災害に苦しむ人々を支援する機会もありました。 外務省では、不二聖心での体験がきっかけとなって関心を持ったアフリカへの経済協力を担当する機会もあり、小学校建設や教育支援等に携わり、日本の支援が少しずつでも貢献している様子を見ることができました。海外では物事が日本のように計画通り進まず苦労することもありましたが,国籍に関わりなく友人となり,また大変な仕事も共に乗り越えてきた現地の同僚は今でも大切な存在であり,赴任先の2カ国はともに第二の祖国のように感じます。私にとって,不二聖心で過ごした6年間は,言葉や異文化の壁を乗り越えていくための大きな支えとなっています。 |
生田流宮城社教師 | ||
不二聖心では毎年学校目標を掲げていましたが、その中で、“賢明な女性”というものが特に印象に残っています。寄宿舎生活では多くの規則があり、例えばいくら試験前でも、消灯後に寝室で勉強していれば、お叱りを受けます。勉強さえしていればよいというのではなく、決められたことを守る姿勢も同じように大切にされているのです。求められたことは、限られた時間の中で集中し、きちんと成果を出すことでした。 そこで鍛えられた私には、“やれる、やれない”ではなく、“やるんだよ!”という強い意志が植えつけられました。 聖心女子大学で心理学を学びながらもその後の進路を筝の道に定めた時も、卒業論文と東京芸術大学合格を目指した稽古の同時進行を、そのある種の頑固さが支えてくれました。現在の演奏活動でも、舞台の幕が上がれば何が起ころうとも逃げることはできません。 懸命に、そして賢明に物事に向かう、そんな大切な日々の気構えを不二聖心での教育からいただきました。宝物です |
長谷川恵美さん 日本航空株式会社 | ||
私は日本航空の客室乗務員として、現在は主に国際線に乗務しています。 客室乗務員には、保安要員とサービス要員の2つの役割があります。サービス要員として必要なホスピタリティーとコミュニケーション力は、突然備わるものではありません。その土台は、不二聖心での生活で培われたと思っております。 定期的に行う奉仕活動では、施設の掃除・慰問を通じて優しさや思いやりの心を学びました。月に1度の節約弁当(おかずを節約してそのおかず分の100円を募金する)は、入学当時はとても衝撃的でしたが、今では懐かしく思います。 高校2年の時に参加したアメリカ体験学習では、修道院や現地の聖心生宅でのホームステイ、歴史の勉強を通じてグローバルな視点を持つことができました。今でも当時のホストファミリーとはお付き合いが続いています。 富士の裾野にある不二聖心ならではの行事である富士登山では、忍耐力が備わり皆で登りきるというチーム力や充実感を得ることができました。 現在、客室乗務員として活躍できているのも、不二聖心での学校生活のお陰です。様々な機会を与えてくださった不二聖心にとても感謝をしております。 |